フランクリンの菜食哲学:「あまり厳格にならなくてもいい」——理性と柔軟さのバランスを学ぶ
「理性をもつ人間という存在は、自分がしたいことがあれば、
なにかと理由づけするものだ。」
――これは、ベンジャミン・フランクリンが65歳のときに書いた
『自伝』の一節です。
若い頃、理想に燃えて菜食主義を実践したフランクリンは、
ある出来事をきっかけにその信念を“少しだけ緩める”ことになります。
そこには、彼らしいユーモアと、柔軟な人生観が表れていました。
■ ベジタリアンの青年が出会った「揺らぎ」
16歳の頃に菜食主義を始めたフランクリンは、
17歳のとき、ボストンからニューヨークへ向かう船旅の途中で
思わぬ誘惑に出会います。
「船員たちがタラを大量に釣り上げた。」
フランクリンは、自分がベジタリアンであることを自覚しながらも、
船上で漂う“揚げたタラの匂い”に心を奪われてしまいます。
「人間がなんの罪もない魚を殺して食べるのはよくない」
——そう思っていたものの、
目の前の美味しそうな光景に、心が揺れ動いたのです。
これは誰にでも覚えのある葛藤です。
健康のために甘いものを控えようと思っても、
香ばしいスイーツの香りに誘惑される。
理性と本能のせめぎ合い――フランクリンも例外ではありませんでした。
■ 魚の腹の中に“小魚”を見つけた瞬間
そんなとき、フランクリンは決定的な“理屈”を見つけます。
「タラの腹が割かれて、小さな魚が出てくるのを見た。」
彼はその瞬間、こう考えました。
「魚が魚を食べるのなら、人間が魚を食べても悪いわけがない。」
そして、にっこり笑ってタラ料理を味わったのです。
この話を『自伝』で語るフランクリンは、
自分の行動を恥じるどころか、どこかユーモラスに描いています。
理屈をこねて自分を正当化する――
その人間らしさを、彼はむしろ肯定的にとらえていました。
■ 「厳格さよりも柔軟さ」が人を成長させる
フランクリンのこのエピソードから学べるのは、
理想を掲げながらも、柔軟であることの大切さです。
ベジタリアンという選択をしたのも理性、
その原則を少し緩めたのもまた理性。
つまり彼は、「理性とは硬いものではなく、
状況に応じて動くしなやかな力」だと考えていたのです。
彼の言葉を借りれば、
「理性をもつ人間は、自分がしたいことがあれば、
それを正当化する理由を見つけるものだ。」
この言葉には、道徳的説教ではなく、
人間の本性を理解した上での優しさと自省がにじんでいます。
■ 完璧を目指しすぎない生き方
フランクリンは若い頃、「完全な道徳的人間になりたい」と志し、
『13の徳』を立てて毎日自己チェックを行っていました。
しかし歳を重ねるにつれ、こう気づきます。
「完璧にできなくても、努力することに意味がある。」
この考え方は、菜食主義への向き合い方にも通じています。
理想を持つことは素晴らしい。
しかし、理想を守れなかった自分を責めすぎる必要はない。
彼にとって、節度とは「自分を縛るためのもの」ではなく、
より良く生きるための指針でした。
■ 「ときどきベジタリアンに戻る」——持続可能な節制
「65歳の現在でも、ときどきベジタリアンに戻ることがある。」
この一文に、フランクリンの成熟した人生観が凝縮されています。
彼は「やめた」とも「続けた」とも言っていません。
自分にとって最適なタイミングで、
無理のない範囲で再開するという姿勢をとっています。
現代で言えば、“マインドフル・ベジタリアン”とでも呼べる考え方。
絶対に肉を食べない、ではなく、
自分の体調や環境、目的に応じて柔軟に選ぶ。
それが本当の意味での「理性的な生き方」なのです。
■ フランクリン流・柔軟な節制のすすめ
フランクリンの姿勢を現代に応用するなら、次の3つがポイントです。
- 理想を持つが、完璧を求めすぎない
節制も努力も、「続けられる範囲」でこそ意味がある。 - 自分の行動をユーモアで見つめ直す
誘惑に負けたとしても、そこから学べばいい。
フランクリンのように、笑って振り返る余裕を持とう。 - 原則は“ガイドライン”として扱う
ルールを破るのではなく、時と場合に合わせて調整する。
それが真の理性であり、成熟した節度です。
■ まとめ:理性とは「自分を責めずに整える力」
フランクリンの「ベジタリアンからの一時的脱線」は、
単なる食のエピソードではなく、
人間の理性と本能の共存を描いた哲学的な教えです。
「理性をもつ人間という存在は、
自分がしたいことがあれば、なにかと理由づけするものだ。」
この言葉は、私たちに「完璧でなくてもいい」と教えてくれます。
節制も、学びも、信念も――
柔らかく続けることでこそ、人生に根づいていく。
フランクリンのように、時には理想をゆるめて、
その中で自分を磨き続ける。
それが、**本当の“理性的な生き方”**なのです。
厳格すぎず、怠惰すぎず。理性とは、その中間で輝く。
