「現在の自分に満足しない」幸田露伴『努力論』に学ぶ、謙虚に成長を続ける心
「恐れ慎む心」が成長を生む
幸田露伴は『努力論』の中で、人が成長し続けるためには「恐れ慎む心」が欠かせないと述べています。
「恐れ慎むということは、今の自分は小さな存在だから少しずつ大きくなろうとか、知識がないから少しずつ賢くなろうとか、人徳がないから少しずつ人徳を積んでいこうとか、そういうことを謙虚に願うことだ。」
ここで言う「恐れ」とは、怯えることではありません。
「自分はまだ未熟である」という自覚を持ち、驕らず謙虚に進もうとする心です。
そして「慎む」とは、その自覚を行動に移すために、丁寧に物事と向き合う姿勢のこと。
露伴は、こうした“恐れ慎む心”こそが、人間の真の成長を支える原動力だと説いています。
満足が成長を止める
露伴は次のように警告します。
「自分の過去と現在のすべてに対して、これでよしと満足することなく、また正しいとすることもなく――」
つまり、「今の自分で十分だ」と思った瞬間に、人は成長を止めてしまうということです。
これは、決して“自己否定”を勧めているわけではありません。
むしろ、**「現状に満足しない=自分の可能性を信じること」**なのです。
成長とは、現状に甘えず、「まだできる」「もっと良くなれる」と信じて歩み続ける姿勢にあります。
露伴は、過去の自分を振り返って満足するのではなく、未来に向かって恐れ慎みながら進むことを“人間の本来あるべき心情”だとしています。
謙虚さと向上心のバランス
謙虚さは、日本人が大切にしてきた美徳の一つです。
しかし、露伴のいう「恐れ慎む」は、単なる謙遜ではありません。
それは、“自分を小さく見せる”ための謙虚さではなく、“成長し続ける”ための謙虚さです。
現代の社会では、「自信を持て」「自己肯定感を高めよ」と言われる一方で、慢心や惰性に陥る危険も増えています。
露伴の教えは、そのバランスをとるための指針になります。
- 自信は持つが、驕らない
- 成果は認めるが、満足しない
- 成長を喜びながら、まだ先を見つめる
この“前向きな謙虚さ”こそ、露伴が説く「恐れ慎む」心なのです。
「努力」は完成しない道
露伴の『努力論』全体を通じて流れているテーマは、「努力とは終わりのない営みである」ということです。
人間はどれほど努力しても、完全にはならない。
だからこそ、成長を止めず、常に一歩先を目指す心が大切なのです。
「恐れ慎みながら真剣に努力しようとすることこそが、人間の本来あるべき心情なのだ。」
露伴のこの言葉は、私たちに“完成を目指すより、進化を続けよ”と語りかけています。
目標を達成しても、「ここからさらに学ぼう」「次の段階へ行こう」と思える人こそ、本当の努力家だといえるでしょう。
現代に活かす「恐れ慎む」生き方
この教えは、現代社会にも驚くほど通じます。
技術や環境が急速に変化する今、「学び続ける姿勢」を失えば、すぐに時代に取り残されます。
- 仕事で成果を出しても、「まだ改善できる部分がある」と考える。
- 人間関係で成功しても、「もっと相手の立場を理解できる」と思う。
- 人として成長しても、「自分の未熟さを忘れない」。
こうした姿勢こそが、露伴のいう“恐れ慎む心”です。
それは、焦りや不安ではなく、静かで力強い「前進の意志」なのです。
まとめ:「満足」は一時、「成長」は永遠
幸田露伴の『努力論』における「現在の自分に満足しない」という教えは、
単なるストイックな生き方ではなく、“未来への希望を持つ生き方”です。
満足は一時的な安らぎを与えますが、成長を止めてしまう。
一方で、恐れ慎みながら努力を続ける人は、いつまでも新しい自分を発見し続けます。
「恐れ慎みながら真剣に努力すること」
それが、露伴の示す“人間らしく生きる道”なのです。
