自己啓発

「やましい気持ち」があなたの心を不安にする理由|箴言28章1節に学ぶ、潔白の強さ

taka

「やましい気持ち」というのは、不思議なものです。
誰かに責められたわけでもないのに、心のどこかで落ち着かない。
人の目を気にし、言い訳がましくなり、自分を守るための言葉ばかりが出てくる。

聖書の箴言28章1節には、そんな人間の心理を鋭く表した一節があります。

「悪しき者は追われもしないのに逃げる。
正しい人は若獅子のように勇ましい。」

この短い言葉の中には、人の不安の本質心の自由を取り戻す鍵が隠されています。


やましさは、自分自身を追いかける影のようなもの

「追われもしないのに逃げる」という表現は、まさにやましさの心理を表しています。
人は、自分の中に不正やごまかしを抱えていると、それを「誰かに見抜かれるのではないか」と常に怯えています。

たとえ他人が気づいていなくても、自分の良心だけはすべてを知っている。
つまり、最も厳しい追及者は他人ではなく、自分自身の心なのです。

たとえば──

  • 仕事で少し手を抜いたこと
  • 嘘をついたこと
  • 誰かを傷つけたのに謝っていないこと

こうした“小さなやましさ”が積み重なると、心の奥に慢性的な緊張が生まれます。
この緊張が、不安や焦り、イライラといった形で表に出てくるのです。


正々堂々と生きる人が持つ「静かな強さ」

それとは対照的に、箴言は「正しい人は若獅子のように勇ましい」と語ります。
ここでいう“勇ましさ”とは、誰かに攻撃的になることではなく、自分に対して誠実である強さのことです。

自分の行いにやましさがなければ、他人の評価や視線に振り回されません。
「私はこれでいい」と心の奥から言える人は、どんな状況でも堂々としていられます。
それは傲慢ではなく、良心の静けさから生まれる勇気です。

心理学の研究でも、罪悪感を抱える人は無意識に自己防衛的になり、他者との関係でも不安定になりやすいとされています。
逆に、自分の価値観に誠実でいる人ほど、ストレスが少なく、長期的に幸福度が高いことがわかっています。

つまり、やましさのない生き方=最も健康的な心の状態なのです。


やましさを手放す3つのステップ

では、すでに心の中にある「やましさ」は、どうすれば和らげられるのでしょうか?
ここでは、聖書の教えと心理学の両方から実践的なヒントを紹介します。

  1. 自分の中の“言い訳”に気づく
     「でも仕方なかった」「みんなもやっている」と自分を正当化しているとき、心は不安を隠そうとしています。
     まず、「私は今、何を隠そうとしているのか?」と問いかけてみましょう。
  2. 小さな正直を積み重ねる
     完璧である必要はありません。
     「今日は嘘をつかずに言えた」「ちゃんと謝れた」──その小さな誠実さが、やましさを少しずつ溶かしていきます。
  3. 自分を赦す勇気を持つ
     やましさを感じるのは、自分が悪い人間だからではなく、「良心が生きている証拠」です。
     過去の過ちを責め続けるより、「これからは正直に生きよう」と決意する方が、はるかに健全です。

「潔白」とは、完全ではなく誠実であること

多くの人は「正しい人」=「失敗しない人」と考えがちです。
しかし、聖書が語る“潔白”とは、「間違いを犯さないこと」ではなく、「間違いを認め、正そうとする姿勢」のこと。

誰にでも弱さはあります。
大切なのは、その弱さから目をそらさず、誠実に向き合うことです。
その姿勢こそが、若獅子のように揺るがぬ強さを生み出します。


まとめ:やましさを越えて、心の自由へ

「悪しき者は追われもしないのに逃げる。正しい人は若獅子のように勇ましい。」
──この箴言は、外の敵ではなく、内なる不安との戦いに勝つ方法を教えてくれます。

心にやましさを抱えたままでは、どんな成功も心から楽しむことはできません。
しかし、誠実に生きると決めた瞬間、心は静かに自由を取り戻します。

やましさを手放すことは、他人のためではなく、自分の心を守るための勇気ある選択なのです。

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ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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