「何歳になっても希望のある者は青年だ」──新渡戸稲造『修養』に学ぶ、“心の若さ”を保つ生き方
「何歳になっても希望のある者は青年だ」
新渡戸稲造は『修養』の中でこう語ります。
「青年の定義は、将来に大きな希望をもっている者であるということだ。そこでは年齢は一切関係ない。」
この言葉は、単なる励ましではなく、「若さとは肉体の状態ではなく、精神の在り方である」という哲学的な宣言です。
年齢を重ねても夢を追う人は若く、逆に希望を失えば、どんなに若くても心は老いてしまう。
新渡戸のこの一節には、**人生を再び燃え立たせる“精神の若返り方”**が込められています。
希望を失うとき、人は老いる
「希望のない者は、いかに年齢が若くても、片足を棺桶に突っ込んでいるのと同じだ。」
この表現はショッキングですが、本質を突いています。
年齢とは関係なく、希望を失った瞬間に人は生きる力を失う。
それは心の老化であり、人生の惰性の始まりです。
たとえ10代でも「どうせ無理だ」と諦めてしまえば、それは精神的に老いているということ。
逆に、70歳になっても「次はこれに挑戦してみよう」と思える人は、まさに青春の真っ只中にいるのです。
「希望」とは、未来を信じる力
新渡戸の言う「希望」とは、単なる楽観主義ではありません。
それは、困難の中でも「まだできる」「次がある」と信じる意志の力です。
人生は思い通りにいかないことばかり。
失敗や喪失を経験すれば、誰でも心が疲れ、希望を失いかけます。
しかし、そこで再び立ち上がれる人は、「まだ何かできる」と信じている人です。
この“希望を持つ力”こそが、人間を若々しく保つエネルギーなのです。
「青年」とは、未来を信じ続ける人
新渡戸は「青年」を年齢ではなく、精神の状態として定義しました。
それはつまり──
- 挑戦を恐れない人
- 現状に満足せず学び続ける人
- 失敗しても再び立ち上がる人
こうした人こそが「真の青年」なのです。
たとえば、退職後に新しい趣味を始める人。
長年の夢に挑戦する60代。
地域活動や勉強を通じて誰かのために動く70代。
彼らはまさに“希望をもって生きる青年”の姿そのものです。
年齢を超えて「心の若さ」を保つ3つの秘訣
新渡戸の教えを現代に活かすなら、次の3つの習慣が大切です。
- 毎日、新しいことを学ぶこと
小さな発見や学びが、心を刺激し、未来への興味を育てます。 - 他人のために動くこと
希望は「自分のため」よりも「誰かのため」に生まれやすい。
人を助けることが、心に新しい目的をもたらします。 - 過去よりも未来を語ること
「昔は良かった」と言う代わりに、「これからこうしてみたい」と話す。
言葉が思考をつくり、思考が希望を育てるのです。
希望を持つことは、生きることそのもの
『修養』の中で、新渡戸は希望を“人生の火”と捉えています。
その火がある限り、人は前へ進める。
火が消えたとき、人は立ち止まり、老いてしまう。
希望は外から与えられるものではなく、自分の心の中で灯すものです。
どんなに小さくても、その光を絶やさないこと。
それが「何歳になっても青年である」ための秘訣です。
まとめ:希望を持つ人は、永遠に青年である
『修養』に記された新渡戸稲造のこの教えは、年齢や立場を超えて、すべての人に向けたエールです。
「希望さえあれば、六十歳でも七十歳でも、その人はいつまでも青年なのである。」
この言葉の“青年”とは、人生を前向きに生きるすべての人のこと。
希望を持ち、未来を信じ、今を大切に生きる人。
その心こそ、何よりも若く、何よりも強い。
希望は年齢を超える。
そして希望を持つ人こそが、永遠に青春の中を歩む人なのです。
