イラン動乱の真因は「供給能力」の欠如。日本への教訓
体制支持者すら反旗を翻す異常事態
中東イランで、死者数百人規模の大規模なデモが続いている。事の発端はテヘラン中央部の電気街。驚くべきは、かつて王政打倒に協力し、現政権の強力な岩盤支持層であった「バザールの商人」たちが、反政府デモの火蓋を切ったことである。 彼らが「独裁者に死を」「これが最後の戦いだ」と叫ぶに至った背景には、凄まじい通貨安がある。1ドル80リヤールだった通貨レートが、瞬く間に160リヤールまで暴落した。この経済的混乱が、体制側の人間すらも路上へと駆り立てているのだ。司法当局が「デモ参加者は神の敵、死刑に値する」と威嚇しても、生きる術を失った人々の怒りは収まる気配がない。
インフレ率45%という生存の危機
イランの消費者物価上昇率は、現在30%から45%という危険な水準で推移している。経済制裁の影響もあり、国民の実質賃金は下がり続ける一方だ。 ここで短絡的に「給料を上げろ」とお金を刷ってばら撒けばどうなるか。通貨の価値はさらに毀損し、輸入物価は高騰、ベネズエラのような破滅的なハイパーインフレに突入するだけである。 実質賃金を健全に上昇させる唯一の方法は、生産性向上のための投資を行うことだ。しかし、原油輸出に依存し、自国内でモノやサービスを生み出す「供給能力」を高める努力を怠ってきたツケが、今まさに国民生活を直撃していると言える。
「供給能力」こそが国家の命綱
この悲劇は、経済学における最も重要な原則を私たちに突きつけている。それは「国民経済にとって最も重要なのは供給能力である」という事実だ。 インフレとは、単なる値上がりではない。需要に対して供給が追いつかない「インフレギャップ」の拡大であり、これは突き詰めれば「生存に必要なモノが手に入らない」状態を意味する。だからこそ、ベネズエラでは国民が国を捨て、イランでは命がけのデモが起きるのだ。 デフレに苦しむ日本とは真逆の現象だが、教訓は同じである。
経済のファンダメンタルズを見つめ直す
どんなに通貨を発行しても、それを裏付ける「モノを作る力」がなければ、国家は脆くも崩れ去る。自国で生産し、供給する能力を維持・強化することこそが、安全保障そのものなのだ。 イランの混乱は、遠い国の出来事ではない。供給能力を軽視すれば、どこの国でも起こり得る「国家の機能不全」の姿である。私たちはこの暴動の映像から、経済の根幹である「供給能力」の重みを、改めて噛みしめる必要があるだろう。
