政治・経済

外国のATMと化した日本。国民を見捨てる政治の正体

taka

「ATM」と呼ばれた総理と海外バラマキ

岸田前総理が一部で「ATM」と揶揄された理由を、私たちは忘れてはならない。外遊のたびに巨額の支援を約束し、各国から歓待されたが、それは彼の人徳ではなく、彼がばら撒く「日本人の血税」への喝采だったからだ。外国への支援は即決で何兆円も出すのに、能登半島の復興や国内の喫緊の経済対策には財布の紐を固く締める。日本の政治家でありながら、なぜ日本人のために金を使おうとしないのか。その矛盾した態度に、多くの国民が憤りを覚えるのは当然といえる。

餓死する国民を横目に進む「国際貢献」

海外のインフラ整備に巨額を投じる一方で、足元の日本では老朽化した水道管が破裂し、地方では生活基盤が崩れかけている。さらに目を背けたくなる現実がある。「おにぎりが食べたい」と書き残して餓死した男性や、学費のために夜の街で働く学生たち。政治家が海外で「気前のいいリーダー」を演じ、拍手を浴びているその裏で、国内では救われるべき命が音もなく消えているのだ。自国民の貧窮を放置してまで優先すべき「国際貢献」など、本来あってはならない。

減税を拒み「中抜き」を愛する構造

なぜ彼らはシンプルな「減税」を嫌い、あくまで「給付」や「複雑な予算措置」にこだわるのか。それは、一度国が集めた金を使うプロセスにこそ「中抜き」の余地が生まれるからだ。減税では利権は作れないが、予算をつけた事業や海外援助なら、関連団体や企業に利益を誘導できる。こども家庭庁の巨額予算や不透明な海外支援も、国民のためというよりは、システムの中にいる誰かを潤すための装置として機能している疑念が拭えない。

税金は「見栄」ではなく「希望」に使え

誤解しないでほしいが、私たちは納税そのものを拒否しているわけではない。もしその税金が、子供の教育やインフラ、老後の安心に使われ、誰もが希望を持って暮らせる社会を作るために使われるなら、たとえ負担が増えても納得して払うだろう。日本という国を良くするための「投資」なら、誰も文句は言わない。私たちが怒っているのは、汗水垂らして納めた金が、外国へのバラマキや米国製兵器の購入、そして中抜きの原資として浪費され、国民の未来が切り捨てられているからだ。税金は政治家の「見栄」や「小遣い」ではない。国民の幸福のためにこそ、使われるべきものである。

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ABOUT ME
TAKA
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理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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