『輸入依存度の罠。数字に隠された日本の生存リスク』
数字の低さが招く油断
前回、日本の輸出依存度が低いという事実について触れたが、今回はその対となる「輸入依存度」に焦点を当ててみたい。統計データを確認すると、日本は輸出依存度と同様、輸入依存度も極めて低い国の一つである。具体的には、アメリカに次いで世界で二番目に低い水準にある。 この数字だけを見れば、「日本は海外の影響を受けにくい、自立した経済構造を持っている」と安心したくなるかもしれない。しかし、ここに大きな落とし穴がある。経済において、輸出と輸入ではその性質、そして私たちの生存に与える影響の深刻さが決定的に異なるからである。数字の低さが、必ずしも安全を意味するわけではないという現実に、私たちは目を向けなければならない。
輸出と輸入の決定的な違い
例えば、日本製の自動車が海外で売れなくなったとしよう。これは確かに自動車メーカーにとっては死活問題であり、ひいては下請け企業や日本経済全体にもマイナスの影響を与えるだろう。だが、それが直ちに日本国民全員の生命を脅かすわけではない。ある種の経済的な「痛み」で済む話である。 一方で、輸入はどうだろうか。もし、私たちが日々消費する食料や、社会を動かすエネルギー資源の輸入が途絶えたとしたら。それは単に「景気が悪い」というレベルの話では済まない。私たちのライフラインそのものが断たれ、明日からの生活が立ち行かなくなることを意味する。 輸入依存度の数値がいくら低くても、その中身が「代替の利かない必需品」であり、かつ国内で調達できないものであれば、国家としての脆弱性は計り知れない。自給率の高さとは、そのまま国家の安全保障、すなわち国力に直結する指標なのである。
命を握る「三つの輸入品目」
二〇二一年の日本の輸入品目別データを見てみよう。ここにある衝撃的な事実が浮かび上がる。実は、日本の輸入の過半数は、「食料」「鉱物性燃料」「その他工業用原料」の三つだけで占められているのである。 鉱物性燃料とは、石油、石炭、液化天然ガスといったエネルギーの源である。工業用原料には、鉄鉱石やボーキサイト、ニッケルなどが含まれる。これらはすべて、自然から採掘される資源であり、残念ながら日本の国土からは十分に産出されないものである。 日本は、依存度の「率」こそ低いものの、その中身を見れば、食料、エネルギー、原材料という、国家運営の根幹をなす「自然の恩恵」の多くを外国に依存している状態にある。もしこれらの供給が止まれば、発電所の七割が停止してブラックアウトし、工場は稼働できず、製品を作ることもできない。そして何より、食卓から食べ物が消えることになる。これは現代文明の崩壊と同義といえるだろう。
忍び寄る食料危機の足音
もちろん、「鎖国をしてすべてを自給自足せよ」などという極論を述べるつもりはない。国際分業のメリットを享受し、買えるものは買えばよい。しかし、常に「輸入が止まるリスク」を想定し、最悪の事態に備えておくことは、政治の、そして私たち国民の責務である。 そのリスクが現実のものとして突きつけられたのが、昨今の世界情勢である。例えば、ロシアによるウクライナ侵攻の影響で、「肥料の三要素」と呼ばれる窒素、リン酸、カリの輸入が困難となり、価格が高騰している。肥料がなければ作物は育たない。結果として農業経営が圧迫され、廃業を余儀なくされる農家も出ている。 また、家畜の餌となる配合飼料も過去最高の値上げ幅を記録し、畜産業を痛めつけている。私たちが日常的にスーパーで手にする食品も、その大元を辿れば、実はこうした海外への深い依存構造の上に成り立っている。一見豊かに見える食卓も、実は薄氷の上にあるといえるのではないだろうか。この「怖さ」を正しく認識することからしか、真の安全保障は始まらないのである。
