財政破綻論という幻想を超えて
財政破綻という言葉が独り歩きした背景
「国の借金が大変だ」「いずれ財政破綻する」──この言葉は長年、日本の常識のように語られてきた。
しかし、財政破綻とは政府が債務不履行に陥ることであり、自国通貨を発行できる日本において、その状況は理屈の上で成立しない。
政府の債務はほぼすべて円建てであり、円を発行できる以上、返済不能という概念そのものが成り立たない。
この事実は広く共有されず、財政破綻というイメージだけが社会に残り続けた。
債務不履行という誤解の根
財政破綻論の典型的な主張のひとつが債務不履行である。
だが、日本の国債はすべて自国通貨建てであり、返済能力の根源は通貨発行権にある。
実際、財務省の公式文書でも「自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」と明記されている。
それにもかかわらず、国民向けには危機を煽る発信が続いてきた。
矛盾を抱えたまま恐怖だけが流布され、財政破綻論が社会の思い込みとして根づいた。
ハイパーインフレ論が成立しない理由
財政破綻の証拠として持ち出されるもう一つの論点がハイパーインフレである。
だが、ハイパーインフレの発生条件は、国内の供給能力が壊滅状態に陥ることにある。
戦争や内戦、国家機能の崩壊といった極端な状況が前提であり、主要国で起こる現象ではない。
財務省自身も「ハイパーインフレの懸念はゼロに等しい」と示している。
日本でハイパーインフレを心配することは、現実性を欠いた議論だといえる。
「信認」という抽象語が生む不安
近年の財政破綻論は、「通貨の信認が失われる」という抽象的な表現が中心になっている。
しかし、信認という言葉は定義が曖昧で、具体的な指標も示されない。
返済能力に対する信用不安が起きるのは民間の話であり、通貨発行権を持つ政府には当てはまらない。
国債の増発で円の信用が崩れるという論法も、実際の国際情勢とは整合しない。
主要国は日本よりはるかに速いペースで債務を増やしているが、通貨危機には至っていない。
財政破綻する国との決定的な違い
一方で、財政破綻を経験した国が存在するのも事実である。
ギリシャやアルゼンチンの例はよく知られているが、決定的な違いは債務の通貨建てにある。
これらの国はドルやユーロといった外貨建ての債務を抱え、返済には外貨調達が不可欠であった。
対外債務が膨らめば返済能力が限界に達し、財政破綻に至る。
日本はすべて自国通貨建てであり、この点で財政破綻とは本質的に無縁である。
可能性を持ちながら停滞を選んできた30年
日本は本来、財政破綻のリスクなく政策を実行できる恵まれた構造を持っていた。
これは先人たちが築いた強固な経済基盤の賜物といえる。
しかし、平成以降の日本政府は、その優位性を使わず、緊縮財政を続けてきた。
事実を踏まえれば、財政破綻論は合理性を欠き、むしろ成長の機会を奪う要因となってきたといえる。
誤った前提から離れ、現実に基づいた議論へ転換することが今後の鍵となる。
