他人と自分を比べて気づく謙虚さ──『菜根譚』が教える思いやりの判断力
他人と自分を比べることの本当の意味
「比べる」と聞くと、多くの人はマイナスの印象を抱きます。
他人と自分を比べて落ち込んだり、優越感に浸ったりする――現代ではそれが「心を苦しめる行為」として語られることが多いでしょう。
しかし『菜根譚』の「他人と自分を比べて判断する」という教えは、そのような比較とはまったく異なります。
ここで言う「比べる」とは、他人の立場に身を置いて考えることを意味します。
人それぞれ、育った環境も能力も運も違います。
だからこそ、「なぜ自分だけが報われないのか」と嘆く前に、
「他の人も、それぞれに努力や苦労をしている」と視点を変えることが大切だ――
これが、この一節の核心です。
他人を理解するための“比較”という思考法
『菜根譚』では、まずこう問いかけます。
人が置かれている境遇はさまざまであり、恵まれた生活を送っている人もいれば、そうでない人もいる。それなのに、どうして自分が必ず恵まれるはずだと期待できるだろうか。
この言葉は、現代にもそのまま通じます。
SNSでは、他人の成功や楽しそうな日常ばかりが目に入りがちです。
しかし、それを見て「自分は恵まれていない」と嘆くのは、比較の方向を誤っているのです。
正しい「比較」とは、
他人を見て自分を卑下することではなく、
「自分も他人も同じように努力している」と理解を深めること。
誰かが成功しているのは、その人なりの努力やタイミングがあったから。
自分が苦労しているのは、今まさに成長の過程だから。
そう考えられたとき、人は他人に嫉妬することなく、自分の道を歩けるようになります。
感情にとらわれず、他人の立場を思いやる
『菜根譚』のこの一節は、次のようにも続きます。
自分自身の感情について考えてみても、それが常に理にかなっているわけではない。それなのに、他人にだけ、常に理にかなっていることを期待するのは間違っている。
これは人間関係の本質を突いた言葉です。
私たちはつい、自分の感情を基準に「相手が間違っている」と判断しがちです。
しかし、自分だって完璧ではない。
怒ることもあれば、焦ることもある。
そんな自分を思い出せば、相手の言動にも少しは寛容になれるはずです。
つまり、「自分もそうだったかもしれない」と考えることこそが、真の思いやりなのです。
謙虚さがもたらす人間関係の安定
この『菜根譚』の教えは、職場や家庭など、あらゆる場面で役立ちます。
たとえば、上司が部下に対してイライラしたとき。
「どうしてこんな簡単なこともできないんだ」と思う前に、
「自分が同じ立場だったときはどうだったか?」と考えてみる。
また、家族や友人とのすれ違いでも、
「相手の言い分にも何か理由があるのでは」と想像してみる。
この小さな視点の切り替えが、人間関係を穏やかにし、自分の心にも余裕をもたらします。
謙虚さとは、単に頭を下げることではなく、自分を絶対視しないことです。
現代における「比べて判断する」智慧
『菜根譚』が書かれたのは明代(約400年前)ですが、この教えは現代社会の“情報疲れ”にも通じます。
私たちは常に他人の情報にさらされ、比較せずにはいられない環境に生きています。
だからこそ、古典の言葉に立ち返ることが、心のバランスを取り戻す助けになります。
比較をやめることが難しいなら、せめて「比較の仕方」を変えてみる。
嫉妬や劣等感の比較ではなく、理解と共感の比較へ。
その瞬間、比べることは苦しみではなく、学びへと変わります。
まとめ:比べることで、思いやりが育つ
『菜根譚』の「他人と自分を比べて判断する」という教えは、
他人の立場を理解し、自分の未熟さを受け入れるための“鏡”のような言葉です。
他人を責める前に、自分にも似た部分がないか考えてみる。
恵まれていないと感じるときも、他人の努力や苦労を想像してみる。
そうした「比べ方」ができる人ほど、周囲から信頼され、穏やかな人間関係を築いていけるのです。
