ストア派の哲学者エピクテトスは『提要』にこう記しています。
「人を不安にさせるのは出来事そのものではない。出来事に対する判断が不安を生み出すのだ。」
この言葉は、私たちが感じる不安や怒り、混乱の多くが「出来事」そのものからではなく、「解釈」から生まれていることを示しています。
宮本武蔵の「見の目」と「観の目」
剣豪・宮本武蔵は、物事を見る目を二種類に分けました。
- 見の目:出来事が「意味すると思われるもの」を見る
- 観の目:出来事を「あるがまま」に見る
「見の目」で物事をとらえると、感情や先入観が混じります。
例:
- 「これで破滅だ」
- 「なんでこんなことに?」
- 「あいつのせいだ」
こうした解釈は、出来事以上に不安や怒りを膨らませ、心を乱す原因となります。
一方で「観の目」で見ると、出来事はただそこにある「客観的な事実」にすぎません。
出来事と解釈を切り離す
ストア派も宮本武蔵も共通して教えているのは、出来事そのものと、それに対する自分の解釈を切り離すことです。
- 出来事:ただ起こった事実
- 判断:その出来事に対して自分が下す意味づけ
たとえば、雨が降ったという出来事に「最悪だ、予定が台無しだ」と判断すれば気分は沈みます。しかし「草木に恵みを与えている」と捉えれば、不満ではなく感謝の気持ちが湧いてくるかもしれません。
心を乱さないための実践法
- 出来事を事実だけで表現する
「上司に叱られた」ではなく「上司の声が大きかった」と記録してみる。 - 判断を後回しにする
「これは良いことか悪いことか?」をすぐ決めず、時間を置いて見直す。 - 観の目を養う
出来事を「ただの現象」として眺める訓練をする。瞑想やジャーナリングが有効。
まとめ ― 出来事は心を乱さない
出来事は、ただ起こるだけの客観的な現象です。私たちの心を乱すのは、それに付け加える「判断」なのです。
エピクテトスと宮本武蔵の言葉に従うなら、私たちは出来事を「観の目」で眺め、過剰な意味づけをしないことが、不安や混乱から解放される鍵になります。
出来事をあるがままに見る――それが心を守る最初の一歩なのです。