人生に連戦連勝はない──新渡戸稲造『自警録』に学ぶ、敗北から学ぶ生き方
「勝つことばかり知って負けることを知らないと悪いことが起こる」
新渡戸稲造は『自警録』の中で、古い武士の言葉を引用しています。
「勝つことばかり知って負けることを知らないと、悪いことが起こる。」
この一言は、戦いの世界だけでなく、人生全般に通じる真理です。
勝つことばかりを追い求めると、人は慢心し、負ける準備を忘れます。
そして、いざ敗北に直面したときに心が折れてしまう。
つまり、「勝つ力」だけではなく、「負けを受け止める力」こそが、真の強さなのです。
「負ける覚悟」を持つことが、人生を安定させる
「どんな戦いにおいても、それに臨む者が勝利を期待するのは当然だが、万が一期待したような勝利を得られない場合にどうするかということを、あらかじめ覚悟して決めておくことが大切だ。」
勝ちたいと思うことは自然な感情です。
しかし、同時に“負けるかもしれない”という現実を受け入れ、心の準備をしておくこと。
それが、精神の安定をもたらします。
勝利しか想定していない人は、敗北した瞬間に全てを失ったように感じます。
一方、負ける覚悟を持っている人は、たとえ敗れても心が折れません。
それどころか、敗北の中に学びを見出し、次に活かすことができるのです。
「連戦連勝の人生」は存在しない
「どんな国の歴史においても、また、どんな勇将の人生においても、連戦連勝するなどということは決してなかったのだから。」
これは、戦の世界を超えて、人生そのものに向けられた警句です。
どんな英雄でも、どんな成功者でも、失敗や挫折を経験しています。
それを知らない人は、成功だけを信じ、失敗を恐れるあまり挑戦できなくなる。
新渡戸は、「負けのない人生」など幻想であると断言します。
むしろ、人生は「勝ち」と「負け」の繰り返しの中で成熟していくもの。
だからこそ、負けを恐れず、負けから立ち上がる術を持つことが大切なのです。
負けの中にこそ、修養がある
新渡戸稲造の哲学では、修養とは「負けないこと」ではなく、「負けを通して学ぶこと」です。
敗北を経験しない人は、他者の苦しみや痛みに共感できません。
しかし、挫折を知る人は、優しさと謙虚さを持ち、人間としての深みを増します。
- 負けたからこそ、謙虚になれる
- 負けたからこそ、努力の意味を知る
- 負けたからこそ、人の痛みに寄り添える
つまり、敗北は人格を鍛える最良の教師なのです。
勝ち続けることよりも、立ち上がり続けること
「勝ち」は瞬間的な結果に過ぎません。
しかし、「立ち上がる力」は一生を支える力です。
人生では、思い通りにならないことの方が多い。
その中で、失敗しても、傷ついても、再び前を向く勇気を持つこと。
それが本当の意味での“勝利”です。
新渡戸が説く「修養」とは、勝敗に一喜一憂せず、心の平静を保つ生き方。
勝っても驕らず、負けても腐らない。
その精神の安定こそが、人間としての強さなのです。
現代社会における「負けの価値」
現代は、SNSやメディアを通じて「成功」が強調される時代です。
しかし、その裏で多くの人が、「失敗すること=悪」と錯覚しています。
新渡戸稲造の言葉は、その風潮に警鐘を鳴らします。
失敗や敗北は、避けるべきものではなく、「生きる訓練」。
そして、負けを通してこそ、自分の理想や信念が本物かどうかが試されます。
まとめ:敗北を恐れず、誠実に生きる
『自警録』のこの章が伝える教えを要約すると、次の3点に集約されます。
- 勝つことばかりを知ってはいけない。負けることも学べ。
- 負ける覚悟がある人は、どんな結果にも動じない。
- 人生に連戦連勝はなく、敗北こそが人を磨く。
つまり、人生とは「勝ち続けること」ではなく、「負けながらも歩き続けること」。
それが、新渡戸稲造の語る“真の修養”なのです。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなるでしょう。
「勝つことを誇るより、負けても立ち上がれる自分を誇れ。」
連戦連勝の人生など存在しません。
しかし、何度負けても立ち上がる勇気を持つ人は、最終的に人生そのものに勝つ人です。
