趣味から学ぶ人は強い──『菜根譚』に学ぶ、「楽しむ」と「学ぶ」を両立させる生き方
「楽しむだけ」では、心は成長しない
『菜根譚』後集第125章には、次のような言葉があります。
「花や竹を育てたり、鶴や魚を鑑賞するような趣味もいいが、そうした中で、何か感じたり気づいたりすることがなければならない。
ただ漫然と見て楽しむだけというのでは、何の意味もない。」
この言葉が伝えているのは、**「趣味は心を豊かにする“学びの場”である」**ということです。
現代では「趣味=息抜き」と考える人が多いですが、
『菜根譚』は、そこにもう一歩踏み込んで「気づき」を得ることの重要性を説いています。
花を育てる中で自然の摂理を感じる。
音楽を聴く中で人の感情の深さを知る。
料理や写真を通して、集中することの喜びを味わう。
そのように、「ただ楽しむ」から「感じ取る」へと意識を変えるだけで、
趣味の時間が“学びと成長の時間”へと変わるのです。
「感じる力」が、学びを深める
菜根譚が批判しているのは、「聞きかじりの学問」──つまり、知識を得ただけで理解したつもりになることです。
現代にも似た現象があります。
本を読んだり、講座を受けたり、情報を集めたりして“知った気”になる。
しかし、それを自分の生活や心に落とし込まなければ、何の意味もありません。
真の学びは、「知ること」ではなく「感じること」から始まる。
たとえば、花を見て「きれいだな」で終わるのではなく、
「この花はどんな環境で咲くのか」「なぜ今この色を美しいと感じるのか」──
そうした小さな問いを立てるだけで、世界の見え方が変わります。
感じる力が育つと、仕事でも人間関係でも「相手の意図」や「場の空気」を読む力が養われ、
結果的に人間的な厚みが増していくのです。
「趣味」は心の鏡──自分を映す時間にする
趣味に没頭する時間は、実は自分自身を知るための時間でもあります。
花を育てる人は、自然と「待つこと」を学びます。
絵を描く人は、集中する中で「雑念を手放す力」を得ます。
音楽を演奏する人は、「人との調和」を学びます。
菜根譚が言うように、趣味とは「現象を楽しむもの」ではなく、「そこから人として何かを掴むもの」。
つまり、趣味の中に“生き方のヒント”が隠されているのです。
私たちは忙しい日常の中で、「目的のない時間」を軽視しがちです。
しかし、実はその何気ない時間こそ、心が磨かれる貴重な瞬間。
趣味を通じて自分と向き合うことは、最も自然で深い自己成長の方法なのです。
「学びのある趣味」に変える3つのヒント
『菜根譚』の教えを、現代のライフスタイルに生かすためのポイントを3つ挙げてみましょう。
- 「問い」を持って楽しむ
ただ眺めるだけでなく、「なぜ」「どうして」を意識してみる。
感覚の裏にある原理や意味を探ることで、思考と感性の両方が磨かれます。 - 「他者」と共有する
自分の感じたことを誰かと話す、SNSやノートに書く。
言葉にすることで、自分の学びがより明確になります。 - 「日常に活かす」視点を持つ
趣味で得た気づきを、仕事や生活に応用する。
たとえば、園芸からチーム育成を学ぶ、書道から集中力を磨く──そんな発想が成長を加速させます。
「楽しみながら学ぶ」人が、最も成長する
菜根譚のこの章は、「楽しむこと」と「学ぶこと」は両立できるというメッセージでもあります。
多くの人は、「仕事=学び」「趣味=遊び」と区別してしまいます。
しかし本来、学びとは生活のあらゆる場面に潜んでいるもの。
むしろ、心がリラックスしている趣味の時間こそ、最も深い学びが起こる瞬間なのです。
だからこそ、『菜根譚』は言います。
「漫然と楽しむのではなく、そこから何かを感じ取れ。」
この「感じ取る力」こそが、知識を知恵に変え、日常を豊かにしていく原動力になります。
まとめ:趣味の中に“人生の学び”を見出す
『菜根譚』のこの章が教えてくれるのは、
**「楽しむこと」と「学ぶこと」は同じ根から育つ」**ということです。
・楽しみながらも、そこに気づきを見つける
・没頭しながらも、自分を客観的に見る
・遊びの中から、人生の本質をつかむ
そんな姿勢で日々を過ごす人こそ、真に“豊かに生きる人”ではないでしょうか。
趣味は、心の遊び場でありながら、学びの道場でもあります。
今日の小さな気づきが、明日の自分をつくる。
菜根譚の言葉は、その静かな真理を私たちに教えてくれています。
