マルクス・アウレリウスは『自省録』でこう述べています。
「競技場において、相手にひっかかれ頭突きをくらったとしても、やられたほうはそれを言い立てたり、抗議したり、疑いの目で見たり、謀られたと考えたりはしない。それでも相手への警戒は怠らないが、敵意や疑念からそうするわけではなく、好意をもちつつ身をかわすのである。人生のどんな物事もこのように処するがよい。」
つまり、人生で起きることをトレーニングととらえることで、心はぐっと軽くなるのです。
トレーニングと考えると心が変わる
日常でこんな経験はないでしょうか?
- 誰かに無礼な態度をとられた
- 不愉快な言葉を浴びせられた
- 思いがけない失敗をした
こうした出来事を「試合での一撃」ではなく「練習の一環」と考えると、受け止め方はまるで違ってきます。
- 怒り → 学びの機会
- 屈辱 → 自分を鍛える訓練
- 不快感 → 柔軟さを養うレッスン
敵意ではなく好意をもってかわす
マルクスは「敵意や疑念からではなく、好意をもちつつ身をかわす」ことをすすめます。
つまり、相手もまた学んでいる仲間だと理解するのです。
- 君の反応から相手も学んでいる
- 君も相手の行動から学んでいる
- お互いが練習台であり、成長のきっかけを与え合っている
こう考えると、イライラや怒りが不思議と和らぎます。
今日からできる「人生の練習法」
- 嫌なことがあったら「これは訓練だ」と言い聞かせる
- 自分の反応を冷静に観察し、改善点を探す
- 相手の未熟さを責めるのではなく、「この人も練習中だ」と思う
まとめ ― 人生は試合ではなく練習場
人生を「勝ち負けのかかった試合」と考えると、ちょっとした失敗や不快な出来事が重荷になります。
しかし「練習の場」と考えれば、何事も柔軟に受け止められるのです。
👉 今日一日を「練習の場」ととらえて過ごしてみよう。
そのとき、君の心はどれだけ軽くなるだろうか?