敬虔と正義 ― マルクス・アウレリウスが示す「徳を軸にした生き方」
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マルクス・アウレリウスは『自省録』でこう述べています。
「競技場において、相手にひっかかれ頭突きをくらったとしても、やられたほうはそれを言い立てたり、抗議したり、疑いの目で見たり、謀られたと考えたりはしない。それでも相手への警戒は怠らないが、敵意や疑念からそうするわけではなく、好意をもちつつ身をかわすのである。人生のどんな物事もこのように処するがよい。」
つまり、人生で起きることをトレーニングととらえることで、心はぐっと軽くなるのです。
日常でこんな経験はないでしょうか?
こうした出来事を「試合での一撃」ではなく「練習の一環」と考えると、受け止め方はまるで違ってきます。
マルクスは「敵意や疑念からではなく、好意をもちつつ身をかわす」ことをすすめます。
つまり、相手もまた学んでいる仲間だと理解するのです。
こう考えると、イライラや怒りが不思議と和らぎます。
人生を「勝ち負けのかかった試合」と考えると、ちょっとした失敗や不快な出来事が重荷になります。
しかし「練習の場」と考えれば、何事も柔軟に受け止められるのです。
👉 今日一日を「練習の場」ととらえて過ごしてみよう。
そのとき、君の心はどれだけ軽くなるだろうか?