人生はいつまでも満足できない──新渡戸稲造『世渡りの道』に学ぶ、不満足を生きる知恵
「人生は重い荷物を背負って歩くようなもの」
新渡戸稲造は、『世渡りの道』の中でこう語ります。
「この世は重い荷物を背負って長い道のりを歩いていくようなものだ。」
この言葉は、まるで徳川家康の名言「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し」を想起させます。
新渡戸にとって人生とは、苦労を避けて歩くものではなく、「背負いながら歩むもの」。
その重さこそが人生の本質であり、成長の糧でもあるのです。
だからこそ、人生に“完全な満足”を求めるのは、もともと無理な話なのです。
「満足できない」のは、人が“生きている”証拠
「何をしても満足できないことが多いし、人と争って負けることも多い。」
私たちは何かを手に入れても、すぐに次のものを欲しがります。
努力して目標を達成しても、その喜びは長く続かず、また新しい願いが生まれる。
新渡戸は、この「尽きない欲望」を否定していません。
むしろ、それこそが人間を人間たらしめているエネルギーだと捉えています。
満足できないということは、まだ前へ進もうとする意志があるということ。
つまり、不満足とは「生の証明」なのです。
「一番目の望み」が叶っても、次の望みが生まれる
「うまく一番目の望みを実現できたとしても、すぐに二番目の望みが生まれてくる。そして、二番目の望みが実現できたとしても、すぐにまた三番目の望みが生まれてくる。」
これは、人間の「欲望の連鎖」を見事に言い表した一節です。
たとえば——
- 就職を望む → 就職すれば昇進を望む
- 昇進を果たす → 今度は独立を望む
- 独立する → さらに成功や安定を望む
このように、望みは次々と形を変え、尽きることがありません。
新渡戸は、そんな人間の性(さが)を冷静に見つめた上で、こう言います。
「人生はいつまでも満足できるものではないと思っていたほうがいい。」
つまり、「不満足であること」を前提にして生きるのが、賢明なのです。
不満足を「苦しみ」ではなく「自然」として受け入れる
ここで重要なのは、不満足を悲観的にとらえないことです。
新渡戸は、「満足できない=不幸」ではなく、「満足できない=人間として自然」だと説いています。
「なぜ自分はこんなに満たされないのだろう?」と嘆く必要はありません。
それは、あなたがまだ生きる意欲を持ち、前を向いている証拠なのです。
満足を追い求めるほど、満足は逃げていく
人間の心理は不思議なもので、「満足したい」と強く願うほど、逆に不満が増えていきます。
なぜなら、「今の自分はまだ足りない」という前提で動いてしまうからです。
新渡戸が教えるのは、**「満足を追うな。今を味わえ」**という知恵です。
- 完全な満足など存在しない
- だからこそ、今ある小さな幸せを大切にする
- 不満足を受け入れることで、心が静まる
こうした“足るを知る”精神こそが、真の幸福への道なのです。
不満足があるからこそ、成長がある
もし人が完全に満足してしまったら、努力もしなければ、夢も見なくなるでしょう。
つまり、「不満足」は人生の欠点ではなく、成長の原動力なのです。
- 不満があるから、努力が生まれる
- 失敗があるから、学びが深まる
- 叶わない夢があるから、人生に彩りが出る
新渡戸は、人間の限りない欲望を否定するのではなく、それを“生きる力”に変えることを勧めています。
まとめ:満足を求めず、不満を抱えて歩む強さを
『世渡りの道』のこの章が伝えるメッセージは、次の3つに要約されます。
- 人生はそもそも満足できないものと心得よ。
- 不満足は不幸ではなく、成長の証である。
- 満足を求めず、今の瞬間を大切に生きよ。
つまり、「不満足を受け入れる心の修養」こそが、人生を豊かにする鍵なのです。
最後に
新渡戸稲造の言葉を現代風に言えば、こうなるでしょう。
「満足できないのは、あなたがまだ前に進もうとしているからだ。」
完全な満足など存在しません。
しかし、不満を抱きながらも誠実に歩くその姿こそが、
新渡戸のいう“真に生きる人”の姿なのです。
