『奇跡の正体は「生産性」にあり。日本が世界一輝いた19年間の真実』
世界が驚愕した「東洋の奇跡」
かつて、この極東の島国が、世界中のどの国よりも力強く成長していた時代があった。 1955年から1973年までの約19年間、いわゆる「高度経済成長期」である。 今の感覚では信じがたい話だが、当時の日本の経済成長率は、実質で毎年10%前後という驚異的な数値を叩き出していた。 物価上昇分を加味した名目成長率に至っては、さらに凄まじい数字となる。 同時期、アメリカやイギリス、ドイツといった西側先進国も成長してはいたが、日本の勢いはそれらの倍以上。 まさに「東洋の奇跡」と呼ぶにふさわしい黄金時代であったといえる。
成長神話を解体する
なぜ、戦後の荒廃から立ち上がったばかりの日本が、これほどの急成長を遂げることができたのか。 世間ではまことしやかに、「当時の日本は人口が爆発的に増えていたからだ」という説が語られることがある。 しかし、これは明確な誤解である。 確かに人口は増えていたが、その増加率は年1%程度に過ぎなかった。 たった1%の人口増加で、10%もの経済成長を説明することは到底不可能である。
また、「日本は輸出で稼いで成長した」という説も根強いが、これも事実とは異なる。 当時の輸出依存度、つまりGDPに占める輸出の割合は10%にも満たなかった。 現在の日本が約13%前後であることを考えると、高度成長期の日本経済は、今よりもずっと内需中心で、輸出には依存していなかったことがわかる。
10%成長の真のエンジン
では、何がこの奇跡を生んだのか。 その答えは、人口ボーナスでも外貨獲得でもなく、「人類史上空前」とも言える圧倒的な「生産性向上」にあった。 データを見れば一目瞭然である。 当時、生産活動の中核を担う15歳から64歳までの「生産年齢人口」の増加率は、平均して1.7%程度であった。 働き手の数は2%も増えていないのに、生産の量は2桁で拡大し続けた。 この乖離(かいり)を埋めたものこそ、働き手一人あたりの生産能力の飛躍的な向上だったのである。
投資が投資を呼ぶ「高圧経済」
この生産性向上を引き起こした要因は、持続的な「インフレギャップ」、すなわち需要が供給を上回り続ける「高圧経済」の状態にあった。 市場には「モノが欲しい」というお客さんが溢れている。 この旺盛な需要に応えるため、企業は喜んで設備投資を行い、最新の工場や機械を導入した。 同時に、政府もその熱気に応えるように、交通インフラや電力網への投資を拡大させた。 東名高速道路が走り、新幹線が開通し、巨大なダムや港湾、空港が次々と建設されていく。 これら官民一体となった投資が、日本の生産効率を劇的に高めたのである。
夢の好循環を再び
生産性が向上すれば、当然ながら国民の実質賃金は上昇し、生活は豊かになる。 豊かになった人々は、テレビや冷蔵庫、マイカーといった新たな消費を拡大させる。 すると、供給が追いついたはずのインフレギャップが、需要の拡大によって再び開いてしまう。 「足りないから投資をする」「豊かになってまた消費が増える」。 この「投資が投資を呼ぶ」無限の連鎖こそが、高度経済成長の正体であった。
これは決して、過去の特殊な事例ではない。 需要拡大と生産性向上が織りなすこのメカニズムは、経済政策によって意図的に作り出せるものである。 夢にあふれたあの成長軌道を、再び日本にもたらす方法は、確かに存在するのである。
