「順当」と「逆さま」の妙——幸田露伴が語る“型破りの価値”とは?
taka
Taka Knowledge Output
マルクス・アウレリウスは『自省録』でこう述べています。
「私の考えや行動が間違っていることを誰かが証明し、納得させてくれれば、喜んで変えようと思う――私は真理を求めるからであり、そのために痛い目に遭った者はいない。痛い目に遭う者とは、思い違いと無知を改めようとしない者のことだ」
つまり、間違えることそのものは問題ではなく、間違いを放置することこそが問題なのです。
あるとき哲学者キケロは、かつての自分と今の自分の意見が違うと指摘されました。
そのとき彼はこう答えたと伝えられています。
「私は移りゆく日々を生きている。何かよさそうな考えが浮かべば、それを口にする。だからこそ、世間の人々とは違い、自由な人間でいられるのだ」
これは、考えを変える自由を持つことこそが人間の解放である、というメッセージです。
エマソンはこう述べました。
「やたらと一貫性にこだわるのは小人の悪い癖だ」
一貫性は一見すると美徳に思えますが、過去の誤りを頑なに守り続けることは、成長を拒むことに他なりません。
人間は学び、変わり、よりよい方向に進む存在なのです。
こうして考えると、間違いを認めることは恥ではなく、自由で勇敢な行為だと分かります。
間違えることは避けられません。大切なのは、そこで止まらずに学びを得ること。
マルクス・アウレリウス、キケロ、そしてエマソンが共通して語るのは、「真理を求め続ける柔軟さ」こそが自由な人間をつくるということです。
👉 君は最近、どんな「間違い」から何を学んだだろうか?