MMTが覆す「お金の起源」の常識とは
貨幣論こそMMTの出発点
MMTに寄せられる批判の多くは、あたかもMMTが「奇抜な経済政策」であるかのような誤解に基づく。しかしMMTの本質は政策ではなく、「そもそも貨幣とは何か」を問う貨幣理論にある。
貨幣の起源をどう捉えるか。この部分から主流派経済学とMMTは大きく分かれる。まずは一般に語られる「商品貨幣論」を整理してみたい。
主流派が語る“お金の歴史”
商品貨幣論では、貨幣の原型は物々交換の不便さを解消するために生まれたとされる。
肉と魚の交換を例にすれば、欲しい相手が見つからなければ価値は失われ、全員が納得する交換比率も存在しない。そこで、誰もが受け取りやすい「価値のあるモノ」、つまり金や貴金属が交換媒体として選ばれ、貨幣の基礎となったというのが一般的な説明である。
アダム・スミスもこの考え方を支持し、原始社会では物々交換から貨幣が発展したと論じている。
金や銀といった貴金属が価値の裏付けとなり、そこから金と交換できる兌換紙幣、さらには裏付けの不要な不換紙幣へと進化した――これが従来の貨幣論の流れだ。
MMTが突きつける三つの否定
しかしMMTは、この「物々交換から貨幣が生まれた」という通説に対して、三つの観点から疑義を呈する。
① “信頼の連鎖”では貨幣を説明できない
主流派が語る「誰かが受け取ると信じるから貨幣になる」という理屈は、善意の前提に依存する不完全な説明だとMMTは指摘する。
ランダル・レイはこれを「ババ抜き貨幣論」と呼び、誰かが最後に紙をつかまされるような構造では貨幣の成立理由として弱いと批判した。
貨幣はもっと強固な制度的背景があって初めて成立する、というのがMMTの立場である。
② 物々交換の起源は歴史的裏付けが乏しい
MMTが否定するもう一つの点は、「物々交換が広く行われていた」という証拠が歴史上ほとんど見つからないことである。
実際には、古代の共同体では債務や贈与、記録によるやり取りが主で、直接的な物々交換は例外的なものだったとされる。つまり、貨幣が物々交換の不便を解消するために生まれたという前提は必ずしも成立していない。
③ 金貨は“効率的な貨幣”ではなかった
さらに、金や銀そのものが交換媒体として優れていたわけではないという指摘もある。
金貨は軟らかく摩耗しやすく、縁を削る「クリッピング」も横行した。毎回重さを測るのは非効率であり、額面通りに扱うなら「商品としての価値」より、むしろ発行主体の権威が価値を支えていたことになる。
つまり、金貨は商品としての価値よりも“制度が保証する通貨”として流通していたと考える方が自然だというわけだ。
貨幣の本質を問い直す
MMTが狙うのは、貨幣をモノとして捉える従来の理論ではなく、「国家が税を通じて価値を与えるもの」と再定義することにある。
その視点に立つと、貨幣は人々の信頼ではなく、国家の制度によって価値を持ち、流通するという考え方が浮かび上がる。
この貨幣観がMMTの政策議論につながり、財政に対する従来の見方を大きく揺さぶることになる。
