『お金とは「債務の弁済」―現代に続く信用の構造』
買い物の裏にある「見えない債務」
私たちは日常生活で、何気なくお金を使っている。
スーパーで1万円の食料品を買うとき、支払い前の時点では「1万円分の債務」を負っている状態だ。
同時に、スーパーは買い手に対して「1万円分の債権」を持つ。
商品を手にした瞬間に生まれるこの債務を、レジで支払うことによって「弁済」しているのである。
つまり、買い物とは日常的に行われる「債務の弁済」行為だ。
この関係は、病院での診療や、企業同士の取引でも同じ構造をもっている。
企業が動かす「信用の連鎖」
企業間では「末締め・翌月払い」などの信用取引が一般的である。
A社がB社に商品を納めた瞬間、B社には債務が生まれ、支払い日までその関係が続く。
代金の支払い、つまり債務の弁済によって、A社とB社の間の債権債務関係は解消される。
日常の消費も企業の経済活動も、すべてはこの「信用の記録」が前提にある。
お金とは、この信用のつながりを社会全体に拡張した仕組みといえる。
現金とは何か ―「日本銀行の借用証書」
私たちが支払いに使う一万円札には、「日本銀行券」と記されている。
これは、日本銀行が発行した「借用証書」であり、所有者はその債権者である。
一万円札を支払う行為とは、「日本銀行に対する債権」を用いて、
自分が他者に負っている債務を弁済することにほかならない。
現金は単なる紙ではなく、「国家が強制的に通用を認めた信用の証書」なのだ。
受け取ったスーパーは債権者となり、その瞬間、信用の記録が移転する。
預金もまた「信用の記録」
銀行預金も同様に、銀行に対する私たちの「債権」である。
銀行から見れば、それは顧客に対する「債務」だ。
私たちはお金を「預けている」のではなく、銀行に「貸している」のである。
銀行はその資金を他者に貸し出し、金利差で利益を得る。
A社とB社の取引で銀行振込が行われるとき、
B社は銀行に対する債権を使ってA社への債務を弁済し、
その債権はA社へと移る。これが現代の「お金の流れ」である。
4000年続く「記録としての貨幣」
メソポタミア文明の粘土板には、債務と債権の関係が刻まれていた。
その本質は、今日の現金や預金とまったく同じである。
お金は形を変えてきたが、常に「誰かの債務と誰かの債権の記録」として存在してきた。
つまり、貨幣とはモノでも富でもなく、人間社会が築いた「信用の体系」そのもの。
私たちが使うお金は、4000年前のメソポタミアから連なる信用の歴史の上に立っているといえる。
