「家族のために稼ぐ」が一番危ない?年収を上げても幸せになれない残酷な真実
「通帳の残高が減るのが怖くて、旅行に行けない」 「家族を養うためと言いながら、残業ばかりで家族と会話がない」
もしあなたが今、こんな**「お金の呪縛」**にとらわれているなら、少し立ち止まってみてください。
お金は生きていく上で絶対に必要です。しかし、それを人生の**「中心(土台)」**にしてしまうと、皮肉なことに、お金があればあるほど不安になるという迷宮に迷い込んでしまいます。
理学療法士としてリハビリ指導をする際、患者さんには「安定した地面」で運動してもらいます。もし、グラグラ揺れる「バランスボール」の上で生活しろと言われたら、一日中落ちないように気を張り続けて、疲れ果ててしまいますよね?
この記事では、コヴィー博士の警鐘をもとに、「お金中心」の生き方がなぜ心を不安定にするのか、そのメカニズムを解説します。
結論をお伝えします。 お金は「使うための道具」であって、あなたの心を預ける「主人」にしてはいけません。
お金を「人生の主役」にしてはいけない
まず、コヴィー博士は、お金を稼ぐこと自体は否定していません。
時に、お金を稼ぐのはもっともらしい理由になる。家族を養うためにお金を稼ぐのは大切なことだし、お金を稼ぐ立派な動機はほかにもあるだろう。
問題なのは、稼ぐことそのものではなく、その**「位置づけ」**です。
しかしお金を人生の中心に据えたら、お金そのものに縛られてしまう。
「塩」は料理の主役にはなれない
これを料理の**「塩」**に例えてみましょう。 塩(お金)は料理(人生)に不可欠です。塩がない料理は味がしません。 しかし、「塩が大事だから」といって、皿に山盛りの塩だけを盛って出されたらどうでしょうか? 食べられませんよね。
「お金中心」の生活とは、まさに**「塩を食べるために生きている状態」**です。 これでは、本来味わうべき「家族との団欒」や「自己実現」といった料理の味が、塩辛さで台無しになってしまいます。
不安の原因は「他人に依存している」から
なぜ、お金中心の生活は不安が消えないのでしょうか?
仮に私が自分の心の安定を雇用や収入、資産から得ているなら、この経済的基盤は多くの外的要因に影響を受けるので、そうした要因がいつも気になり、不安になる。
お金の価値は、あなた自身ではコントロールできません。
- 会社の業績悪化(雇用)
- インフレによる物価上昇(資産価値の低下)
- 株価の暴落(投資)
これらは全て**「外的要因(天候)」**です。 自分の心の安定を「天気」に預けているようなものですから、「明日は雨が降るんじゃないか(暴落するんじゃないか)」と、24時間空を見上げてビクビクすることになります。
杖に頼りすぎると歩けなくなる
リハビリでも、杖(道具)に体重を預けすぎている人は、杖が滑った瞬間に転倒します。 お金はあくまで**「便利な杖」**です。 自分の足(原則・人格)で立たずに、杖に全体重を乗せている状態こそが、あなたの不安の正体なのです。
守ろうとしたものを、逆に壊してしまう
最も恐ろしいのは、お金への執着が、本来守りたかったものを破壊してしまうことです。
防御的になり、影響を受けないように何とかしようとする。 お金を中心に据えると、自分の生活も、愛する者たちの生活も危機に陥れるおそれがある。
「家族を幸せにするため」に必死で働いていたはずなのに、 いつの間にか「お金を減らさないこと」が目的になり、
- 「電気代がもったいない!」と家族を怒鳴りつける。
- 「教育費がかかりすぎる」と子供の夢を否定する。
こうして、お金という「手段」を守るために、家族という「目的」を犠牲にしてしまう。 これでは本末転倒です。お金があっても、そこに笑顔がなければ、その家は「危機」に陥っています。
まとめ・アクションプラン
記事の要点をまとめます。
- お金は人生に不可欠だが、「中心」に置くと人生のバランスが崩れる。
- お金の価値は外的要因で変わるため、依存すればするほど不安は増大する。
- 手段(金)と目的(家族・幸福)を履き違えると、大切な人間関係を壊してしまう。
お金は「良き召使い(便利な道具)」ですが、「悪き主人(支配者)」にもなります。 主人の座を、お金からあなた自身に取り戻しましょう。
Next Action:お財布を開いて唱える
今日、買い物をするときにお財布を開いたら、心の中でこうつぶやいてみてください。
「私は、このお金を使って『どんな幸せ』を買おうとしているのか?」
- スーパーの食材なら → 「家族の健康と笑顔」
- 本なら → 「自分の成長」
単に「減った」と考えるのではなく、**「何に交換したか(価値)」**に目を向けること。 それだけで、お金の呪縛から少しずつ解放され、道具として使いこなせるようになります。
