新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ——実行のともなわない思慮は無意味だ
「知っているだけでは足りない」——新渡戸稲造の警鐘
新渡戸稲造は『人生読本』で、現代にも通じる鋭い言葉を残しています。
「今日の教育制度のもとに育ってきた日本人は、おもに知識の面ばかり発達して、意志についてはおろそかにされてきた。そのため、決断力が発達していないところがある。」
明治の教育者であった新渡戸は、
“知識偏重の風潮”に早くから危機感を抱いていました。
学校では知識を詰め込むが、「どう生きるか」「どう行動するか」は教えられない——。
それが、彼の見た日本人の弱点だったのです。
「英雄」が偉大だった理由——学問よりも行動
「明治のはじめに英雄が数多く現れたのは、彼らに学問があったからではない。
むしろ、学問がなかったことが彼らを偉大に、そして強くしたのである。」
この言葉は、一見すると学問を否定しているように思えるかもしれません。
しかし新渡戸が言いたいのは、**「知識に頼りすぎると、行動が鈍る」**ということです。
幕末から明治維新にかけて活躍した志士たちは、
必ずしも高等教育を受けていたわけではありません。
それでも、時代を動かしたのは、信念と実行力でした。
つまり、新渡戸がここで伝えたいのは、
「知る」よりも「やる」ことの尊さなのです。
「思慮なき実行」と「実行なき思慮」
新渡戸はこの章の核心で、次のように述べています。
「思慮のともなわない実行は危険だ。
しかし、その反対に、実行のともなわない思慮も無意味で無責任だ。」
この一文に、新渡戸の思想の真髄があります。
知識だけで行動しない人は、責任を果たしていない。
逆に、考えずに行動する人は、危険をまき散らす。
つまり、大切なのは——
**「よく考え、そして行う」**という、知と行のバランスです。
儒学でいう「知行合一(ちこうごういつ)」、
西洋思想で言えば「実践的知性」に近い考え方です。
「知る」ことが目的になっていないか?
現代の私たちは、かつてないほど多くの情報を手に入れることができます。
SNS、ニュース、動画、書籍——。
しかし、新渡戸の視点から見れば、
“知っているだけ”の人が増えているとも言えるでしょう。
- 本を読んで「なるほど」と思っても行動しない
- 人生論を語れても、自分の生活は変わらない
- 理想を語りながら、目の前の一歩を踏み出せない
新渡戸が警鐘を鳴らしたのは、まさにこの「知識の自己満足」です。
知識は行動に移されてこそ、初めて“智慧”となります。
「意志の教育」を取り戻す
新渡戸は、日本の教育が「意志」を育てていないと批判しました。
彼が理想としたのは、知識を得て、それを行動に変える力を持つ人間です。
教育とは、「考えさせる」だけでなく、「決断させる」こと。
そして、失敗を恐れず行動できる勇気を育てること。
この考え方は、彼の代表作『修養』にも一貫しています。
「学問とは、行いに移して初めて身につくものだ。」
知るだけではなく、生きる力として使うこと。
それが新渡戸が目指した“生きた教育”でした。
現代へのメッセージ——「動く知性」を持とう
新渡戸稲造の言葉は、今の私たちにも鋭く突き刺さります。
情報化社会の中で、「思慮だけの人」が増えてはいないでしょうか。
考えることは大切です。
しかし、行動しなければ何も変わらない。
「実行のともなわない思慮は無意味で無責任だ。」
この言葉は、今を生きる私たちへの呼びかけです。
勇気をもって一歩を踏み出す。
その瞬間に、知識が初めて“生きた力”へと変わります。
まとめ:知と行をひとつに——それが「生きる知恵」
新渡戸稲造『人生読本』のこの章は、
教育・仕事・人生のすべてに通じる普遍の真理を語っています。
「思慮のともなわない実行は危険。
しかし、実行のともなわない思慮は無意味だ。」
考えるだけでは、世界は動かない。
行動だけでは、誤った道を進むかもしれない。
だからこそ、考えて行う、行って考える。
その往復こそが、成熟した人間をつくる。
新渡戸稲造のこの言葉は、
「知識社会」に生きる私たちへの、
100年前からの静かな、しかし力強いメッセージなのです。
