新渡戸稲造『修養』に学ぶ——自分の狭い経験だけで判断するな
「自分の狭い経験だけで判断するな」——新渡戸稲造の洞察
新渡戸稲造は『修養』の中で次のように語っています。
「私たちは自分の狭い経験をもとにして物事を性急に判断してしまいがちだ。」
人は誰しも、自分の経験や体験を通して物事を見ています。
それは自然なことですが、問題はそれを**「絶対的な真実」**だと信じてしまうこと。
新渡戸は、そうした思考の危うさを静かに指摘しています。
経験は大切だが、それだけでは不十分
経験は知恵の源です。
しかし、それが**「狭い経験」**であれば、判断を誤る原因にもなります。
「今まで信頼していた友人に裏切られた経験のある人は、人間とはすべて裏切るものだと思うようになる。」
この一文に象徴されるように、私たちは個人的な出来事を「一般化」してしまう傾向があります。
一人の裏切りをもって「人間不信」に陥ったり、
一度の失敗で「もう自分には無理だ」と思い込んだり——。
それが、新渡戸の言う「狭い経験に基づく誤った判断」です。
「部分」を「全体」と錯覚しない
新渡戸はまたこうも言います。
「自分一人の狭い経験だけをもとにしていると、人生の重要な岐路で誤った判断をしてしまうことになる。」
これは単に人間関係の話ではなく、人生全体の見方に関わる問題です。
たとえば、ある仕事で失敗した経験をもって「社会は理不尽だ」と決めつけたり、
ある業界や国の一面を見ただけで「その全体が悪い」と考えたりする。
こうした「部分の一般化」が、誤解や偏見を生みます。
広い世界を見れば、同じ出来事でもまったく違う意味を持つことがあります。
だからこそ、新渡戸は「経験を超えた視野」を持つことの大切さを説いたのです。
判断力とは「経験+想像力」
経験だけでは偏る。
しかし、想像力を加えれば、経験は知恵になります。
「自分の経験にはないことを理解しようとする努力」
それこそが、成熟した判断の第一歩です。
新渡戸稲造は、教育者として学生たちに「知識を積むより、心を広げよ」と教えていました。
それはまさに、「自分の世界」から一歩外に出て考える力を育てるための言葉でした。
現代社会における「情報の狭さ」
SNSやネットニュースでは、偏った意見や断片的な情報が一瞬で拡散されます。
私たちは「自分と同じ考えの人」だけをフォローし、知らず知らずのうちに**“狭い世界”**に閉じこもりがちです。
新渡戸の言葉を現代に置き換えれば、こうなるでしょう。
「自分のタイムラインだけで世界を判断するな。」
情報が多いほど、真実は見えにくくなる。
だからこそ今、冷静に考え、他者の視点に耳を傾けることが求められています。
それはまさに、『修養』の精神そのものです。
まとめ:経験に学び、経験に縛られない
新渡戸稲造の『修養』が教える「自分の狭い経験だけで判断するな」という言葉は、
人間の成長と謙虚さの本質を突いています。
経験は人生の教師である。
だが、経験だけを信じる者は、世界の一部しか見ていない。
真の判断力とは、経験を尊重しつつ、想像力と共感でその枠を広げること。
他人の立場に立ち、異なる意見を受け入れる。
それが「教養ある人間」の姿であり、新渡戸稲造が生涯をかけて伝えた理想です。
