新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ——どんな癖でも変えることができる
「癖」は変えられない?——新渡戸稲造の人間観
新渡戸稲造は『人生読本』でこう語っています。
「『なくて七癖』という言葉があるように、癖のない人間はいない。
しかし、とかく私たちは、そうした癖については変えられないと思いがちだ。」
この冒頭から、新渡戸は人間の“思い込み”を見抜いています。
私たちはつい、「性格だから」「癖だから仕方ない」と自分や他人を決めつけてしまいがちです。
しかし、新渡戸はそれを明確に否定します。
「どんな癖であっても、私たちの心がけ次第で、今までやっていたことをやめたり、新たに始めたりすることができるのである。」
この言葉には、「人間は意志の力で変われる」という深い信念が込められています。
「癖」とは、心の習慣である
新渡戸が言う“癖”とは、単なる行動のパターンだけでなく、
思考の癖・感情の癖・反応の癖も含んでいます。
たとえば——
- すぐに怒る癖
- 悲観的に考える癖
- 他人と比較する癖
- 先延ばしにする癖
これらはどれも、日々の積み重ねによって身についた“心の習慣”です。
だからこそ、意志と努力によって少しずつ変えていくことができる。
新渡戸は、人間の可能性を信じる教育者として、その事実を力強く説いているのです。
「癖は変えられない」という思い込みが成長を止める
「これは彼の癖だからやむを得ない」とか、「またあいつがあの癖を出した」などといったりする。
新渡戸は、人を「癖」で片づける風潮に警鐘を鳴らします。
それは、相手を固定観念で見てしまうことでもあり、同時に自分自身の変化の可能性を閉ざす行為でもあります。
「もう性格だから」「どうせ無理だ」と思った瞬間に、成長の道は閉じてしまう。
逆に、「変えよう」という意志を持った人には、どんな癖も少しずつ変わっていくチャンスが生まれるのです。
「癖を変える」には、まず意識を変えること
新渡戸の教えを現代的に言えば、
「癖を変える」=「無意識を意識化する」ことです。
人は、自分の行動の大半を無意識に行っています。
つまり、癖とは“気づかぬうちに繰り返している行動”。
だからこそ、
- 「今、自分はまたこの癖を出しているな」と気づく
- それを少しずつ修正する
この小さな繰り返しが、人格の修養へとつながります。
新渡戸の“修養”とは、派手な修行ではなく、
日常の中で自分を整えていくことだったのです。
「やめる」よりも「新しい癖を育てる」
悪い癖を直そうとするとき、私たちは「やめよう」と意識します。
しかし、新渡戸の思想に照らすと、それよりも大切なのは、
良い癖を新しく作ることです。
怒りっぽい人なら「深呼吸してから話す」
悲観的な人なら「一つ良い点を探す」
先延ばし癖のある人なら「まず3分だけやる」
こうした小さな「良い癖」を重ねることで、
悪い癖は自然と居場所を失っていきます。
つまり、癖は“消す”ものではなく、“置き換える”ものなのです。
現代に通じる——“変わる勇気”のすすめ
新渡戸稲造がこの章で伝えたかったのは、
「人は何歳からでも変われる」ということです。
彼は教育者として、生徒にもこう語っていました。
「今日の自分が、昨日より少しでも良くなれば、それが修養である。」
癖を変えるとは、自分を責めることではなく、
より良く生きようとする小さな努力の積み重ね。
新渡戸の言葉は、私たちに「成長の希望」を思い出させてくれます。
まとめ:癖を変えることは、自分を信じること
新渡戸稲造『人生読本』のこの一節は、
人間の弱さと可能性を同時に見つめた温かいメッセージです。
「どんな癖であっても、私たちの心がけ次第で変えることができる。」
癖を直すとは、意志の力で自分を作り替えること。
そしてそれは、どんな環境でも、どんな年齢でも可能です。
新渡戸が生涯説いた「修養」の核心とは、
**「人はいつからでも良くなれる」**という信念でした。
その希望を胸に、今日も少しずつ、自分を磨いていきたいものです。
