新渡戸稲造『修養』に学ぶ——褒められたりけなされたりは気にするな
「人の評価」に一喜一憂するな——新渡戸稲造の心の修養
新渡戸稲造は『修養』の中で、こう語っています。
「社会の中で生きている以上、私たちは褒められたりけなされたり、愛されたり憎まれたりするのを避けることはできない。
そんなことには惑わされず、いつも心の平静を保てるようにすることだ。」
人間関係の中に生きる私たちは、誰からも好かれることはありません。
どんなに正しい行いをしても、誰かには誤解され、批判される。
反対に、努力していないのに褒められることもある。
新渡戸は、そうした他人の評価の不安定さを、冷静に見つめています。
そして、「評価は風のようなものだ」と言うのです。
吹けば流され、止めば静まる——しかし、自分の芯さえぶれなければ問題はないのです。
「褒め言葉」も「悪口」も、心を乱す種になる
人は「けなされる」ことを嫌いますが、
実は「褒められる」ことも、同じくらい危険です。
褒められることで自惚れ、批判されることで落ち込む。
つまり、他人の言葉に心が振り回されている限り、
自分の軸で生きているとは言えないのです。
新渡戸の言葉は、こう警鐘を鳴らしています。
「心の平静を保つとは、他人の声に心を動かされないことである。」
本当の強さとは、「褒められても慢心せず、けなされても動じない心」なのです。
「心の平静」は修養によって育つ
「平静を保つ」と聞くと、まるで感情を殺すように感じるかもしれません。
しかし新渡戸のいう「平静」とは、感情を抑えることではなく、感情に支配されないことです。
それは、まるで湖面のような状態です。
風(=他人の言葉)が吹いても、深い水面(=自分の信念)は動かない。
新渡戸は、こうした“静かな強さ”を「修養」の目標の一つと考えました。
日々の思考・行動・言葉を通して、少しずつ「心の筋力」を鍛えていく——
それが、彼の言う精神の独立なのです。
「愛されたい」「認められたい」という心を超える
現代社会では、「承認欲求」という言葉がよく使われます。
SNSや職場などで、誰もが「見られ、評価される」時代。
新渡戸の言葉は、そんな現代の私たちにこそ強く響きます。
人は社会の中で生きる以上、誰かから愛され、誰かから嫌われる。
しかし、新渡戸が教えるのは——
「それを受け入れたうえで、心を乱さないこと」。
愛されたいと願うのも人間らしさ。
けれど、そこに縛られてしまえば、自由は失われる。
だからこそ彼は、**「評価から自由になることが、真の修養」**だと説いたのです。
「平然としている人」は、最も強い人
「世の人々から褒められようとけなされようと、平然としていることができる。」
新渡戸の理想とする人物像は、「平然としている人」です。
それは冷淡な人ではなく、自分の信念を持ち、静かに生きる人。
この「平然」という言葉には、彼の人間観が凝縮されています。
- 成功しても驕らない
- 失敗しても卑下しない
- 評価されても揺れない
それは、他人ではなく「天(=良心)」を基準に生きている人の姿です。
「自分の仕事を天への義務と考える」と言った新渡戸らしい、精神の独立の美学がここにあります。
現代に生きる「平静の哲学」
SNSや社会の評価軸にさらされ続ける現代では、
人の目を気にしないことがますます難しくなっています。
しかし、新渡戸のこの言葉を胸に置くことで、
私たちは少しずつ心の自由を取り戻せます。
- 「褒められなくても、正しいことを続ける」
- 「けなされても、自分を曲げない」
- 「静かに誠実であることを選ぶ」
この姿勢こそ、現代における“修養の実践”なのです。
まとめ:平静な心が、人生をしなやかにする
新渡戸稲造『修養』のこの章は、
他人との関係に悩むすべての人に贈られた言葉です。
「褒められたりけなされたりは気にするな。
いつも心の平静を保て。」
人の声は移ろいやすく、評価は時によって変わる。
けれど、自分の信念と良心に従って生きる人は、
何があっても動じない。
それが、新渡戸稲造の説く**「静かな強さ」**であり、
現代にも通じる——自由で誇り高い生き方の哲学なのです。
