新渡戸稲造『修養』に学ぶ——先を見通して今を生きよ。節度と未来志向の人生哲学
「先を見通して今を生きよ」——新渡戸稲造の人生訓
新渡戸稲造は『修養』の中で、次のように語っています。
「世の中にはケチだと言われるのが嫌で、いつもお金に糸目をつけず派手に使っている人がいる。
こういう人は、お金にきれいでサッパリしているとお世辞を言われて喜んでいるが、それが二代目の時代ともなると、お金がなくて他人に迷惑をかけ、一家の恥をさらすようになることが多い。」
ここで新渡戸が問題視しているのは、単なる浪費ではありません。
それは**「今しか見ていない生き方」**に対する警鐘です。
「見栄」や「世間体」を優先してお金を使うことが、
やがて自分や家族、周囲にまで影響を及ぼす。
この洞察は、100年以上たった現代でも、まったく古びていません。
派手さよりも「長い視点」を持て
現代でも、「ケチと思われたくない」「人からよく見られたい」という気持ちは誰にでもあります。
しかし、それが原因で身の丈を超えた消費を続けると、
結局は将来の自分を苦しめることになります。
新渡戸は、“今だけの快楽”に溺れる生き方ではなく、“未来を見据えた節度”をもつことを説いています。
つまり「先見の明」とは、単に経済的な計画性のことではなく、
人生全体を見通す知恵なのです。
節約は「貧しさ」ではなく「品格」である
新渡戸稲造が生きた明治期は、西洋文化が急速に流入し、派手な生活様式に憧れる人も増えた時代でした。
そんな中で彼は、あえて「倹約」を美徳として説きました。
それは、貧しさを肯定するためではありません。
むしろ、**「節度ある暮らしこそ、精神の豊かさを保つ道」**だと考えていたからです。
浪費は一瞬の快楽をもたらしますが、
節度は一生の安らぎと信頼をもたらします。
それが「立派な志をもった人のすることではない」と新渡戸が強調した理由です。
「未来志向の今」が人生を形づくる
「これはまさに先見の明のなさによるもので、立派な志をもった人のすることではない。」
新渡戸の言葉は、経済的な話にとどまりません。
彼が伝えたいのは、**「今をどう生きるかが未来を決める」**という人生哲学です。
たとえば、
- 健康を軽視して今を楽しむか、未来の自分のために節制するか。
- 一時の人気を追うか、信頼を積み上げて長く尊敬される人になるか。
どんな選択にも「未来を見通す視点」が問われています。
新渡戸の「先を見通して今を生きよ」という教えは、まさに**“時間を超えた生き方の指針”**なのです。
現代への応用——お金も心も「計画的に」
私たちの時代は、キャッシュレス化・サブスク・SNS消費など、
「お金を使う仕組み」がより気軽で、より早くなりました。
それだけに、**“未来の自分を見据えた判断力”**が一層大切になっています。
「今楽しければそれでいい」という考え方は、一見自由に見えます。
しかし本当の自由とは、先を見据えたうえで選択できる余裕をもつことです。
新渡戸の教えは、まさに現代的な“自己マネジメント”の原点でもあります。
まとめ:節度と先見が人生を豊かにする
新渡戸稲造が『修養』で語った「先を見通して今を生きよ」という教えは、
単なる倹約論ではなく、人生を俯瞰する知恵です。
一時の見栄より、一生の信頼を。
目先の快楽より、未来の安定を。
そうした生き方こそ、真に志ある人の道です。
先を見通すとは、恐れることではなく、「大切なものを守る勇気」。
今この瞬間の判断が、あなたの未来を静かに形づくっていくのです。
