新渡戸稲造『世渡りの道』に学ぶ——上司と部下は「惜しむ気持ち」をもて
「惜しむ心」が信頼を生む——新渡戸稲造の人間関係論
新渡戸稲造は『世渡りの道』の中で、こう語っています。
「部下に上司を惜しむ気持ちがあれば、上司も部下のことを惜しむようになる。
部下が上司を惜しみ、上司のためなら自分のことを惜しまないようになれば、上司のほうも部下のために一生懸命考え、大切に使うようになる。」
この一節には、職場や組織だけでなく、すべての人間関係に通じる真理があります。
それは、「相手を思いやる心が、信頼を呼び、互いを高める」ということ。
新渡戸はそれを「惜しむ心」と表現しました。
「惜しむ」とは、単なる同情ではない
ここでいう「惜しむ」とは、哀れむことではなく、大切に思う心のこと。
「相手を失いたくない」「この人を大事にしたい」という気持ちです。
この“惜しむ心”がある関係では、上司は部下を単なる労働力として扱わず、
一人の人間として尊重します。
そして部下もまた、上司を権威としてではなく、信頼すべき人として支えようとします。
「これはちょうど、自分の愛する器を大切にするのと同じで、
傷つけないよう、減らさないように惜しんで使うようになるのだ。」
この比喩が見事です。
“愛する器”とは、ただ使うための道具ではなく、共に時間を重ね、磨き合う存在。
人間関係もまた、使い捨てではなく、育てていくものなのです。
信頼は「上下の対等な敬意」から生まれる
新渡戸が説く関係は、決して“上からの支配”でも“下からの服従”でもありません。
それは、お互いに相手を思いやる対等な関係です。
上司が部下を信頼し、部下が上司を敬う。
どちらか一方ではなく、双方向の敬意があってこそ、
本当の信頼関係が成立します。
この姿勢は、今で言う「心理的安全性(psychological safety)」にも通じます。
安心して意見を言い合える関係の根底には、まさに「惜しむ心」があるのです。
「惜しむ心」は、人を育てる力になる
「さらに、それを一歩進めて、その器をもっと良くしてやろう、
育ててやろう、伸ばしてやろう、磨いてやろうという気にもなる。」
新渡戸は、「惜しむ心」が教育や育成の原動力になることを見抜いていました。
上司が部下を「育てたい」と思うのは、その人を大切に思うからこそ。
反対に、部下が上司のために努力するのは、尊敬と感謝の気持ちがあるから。
その循環が、組織や人間関係を健全に育てていくのです。
これは単なる“マネジメント論”ではなく、**「人を愛する力」**の話です。
惜しむ心がある人は、他者を通じて自分も磨かれ、成長していきます。
現代社会における「惜しむ関係」の欠如
現代の職場では、効率や成果が重視されるあまり、
人と人との“情”が軽んじられる傾向にあります。
「上司は使う側」「部下は使われる側」という関係が根強く残る中で、
互いを“惜しむ”という感情は見えにくくなっています。
しかし、新渡戸の言葉は100年以上たった今も変わりません。
「惜しむ関係」がある組織こそ、最も強く、温かい。
それは数字では測れない、人間の力が生きる場所なのです。
まとめ:信頼は“惜しむ心”から生まれる
新渡戸稲造の『世渡りの道』が教えてくれるのは、
上司と部下という立場を超えた、人間としてのつながりの在り方です。
「いなければ困る人になれ」
「真に惜しまれたければ人格を磨け」
そしてこの章の——
「お互いに惜しむ気持ちをもて」
これらはすべて、人間関係の本質を語る連続した思想です。
惜しむとは、愛すること。
尊敬し、信頼し、共に成長を願うこと。
その心があれば、どんな上下関係も、温かく、強い絆に変わっていきます。
