新渡戸稲造『修養』に学ぶ——自分に合うものをよく見極めよ
「好き」と「合う」は違う——新渡戸稲造の自己理解論
新渡戸稲造は『修養』の中で、青年期の選択についてこう語ります。
「青年というのは一時の気分に駆られて判断を誤りやすい。
自分の好みや性格に合うと思って選んだ職業も、実際にやってみると、そうでもないことがある。」
まさに、現代にも通じる警句です。
「これが好きだから」「この仕事がかっこいいから」といった感情で道を選ぶ——それ自体は悪いことではありません。
しかし、新渡戸はそこに**「自分を見誤る危険」**を見ていました。
好きなことが、必ずしも“自分に合っている”とは限らない。
表面的な好みと、本質的な適性は違うのです。
「本当に好きなこと」を見極めるには
「自分が好きだと思ったものが、実は本当に好きなものではなかったからだ。」
この言葉は、単純な“職業論”ではなく、人間の自己理解に関する深い洞察です。
多くの人は、「好き」という感情を“刺激”や“憧れ”と混同してしまいます。
たとえば——
- 華やかだから好きだと思った仕事
- 楽そうに見えるから選んだ生き方
- 周囲に勧められて「自分もそうだ」と思い込んだ進路
しかし、実際に始めてみると、
「思っていたのと違う」「意外と自分には合わなかった」という経験は誰にでもあるはずです。
新渡戸は、そうした表面的な“好き”の背後にある、本当の自分の気質や価値観を見極めよと説いているのです。
「四角の人間が三角の職業を選んでもうまくいかない」
「四角の人間が三角の職業を選んだとしても、決してうまくいくことはないだろう。」
この比喩は非常にわかりやすく、新渡戸らしい優しさがあります。
どんなに努力しても、「自分の形」と「仕事の形」が合っていなければ、心がすり減ってしまう。
たとえば、
- 人と話すのが苦手な人が営業職に就く
- 細かい作業が苦手な人が事務を選ぶ
- 創造性豊かな人がルール重視の環境に入る
このような“形の不一致”は、長続きしません。
だからこそ新渡戸は、「自分の形(気質・特性)を知る」ことが何より大切だと言うのです。
「修養」とは、自分の形を知り、磨くこと
『修養』という言葉には、“心を修め、身を養う”という意味があります。
つまり、自分の性質を理解し、それを活かす方向に磨いていくこと。
新渡戸は、**「合う仕事を探す」だけでなく、「自分を磨いてその仕事に合うようにする」**という考え方も同時に持っていました。
つまり、修養とは、
- 自分を知ること
- 自分を鍛えること
- 自分に合った場所を見極めること
この三つの循環です。
それができる人こそが、長く充実した人生を歩むことができるのです。
現代社会における「自分に合う生き方」とは
現代は、SNSや情報があふれ、
「好きなことを仕事にしよう」「情熱を追え」といった言葉が飛び交っています。
しかし、新渡戸稲造の視点から見れば、そこには危うさもあります。
“好き”だけで選んだ道が、自分の性質と合っていなければ、
理想と現実のギャップに苦しむことになります。
だからこそ、
- 自分の強みや性格を理解する
- 仕事の中で「合う部分」を育てていく
この二つをバランスよく行うことが大切です。
新渡戸の言葉で言えば、
**「四角の人は、四角のままで光る場所を見つけよ」**ということです。
まとめ:自分の形を知り、活かす生き方を
新渡戸稲造『修養』のこの一節は、
「自分探し」に悩む現代人にこそ響くメッセージです。
「四角の人間が三角の職業を選んだとしても、決してうまくいくことはない。」
合わない環境で無理をして自分を削るより、
自分の形を活かせる場所を探し、磨き、成長すること。
それが「修養」であり、
新渡戸稲造の説く“幸福な人生”の基礎です。
本当に自分に合う生き方とは、
他人の価値観ではなく、自分の心と調和する生き方なのです。
