「成功と自己の成長とは違う」—新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ、外の評価より内なる成熟を
「成功者」ほど、実は不幸なことがある
新渡戸稲造は『人生読本』でこう述べています。
「世の中の成功者とされる人の家庭を見たり、その人の心の中を覗き見れば、どれほど不幸な人が多いことだろうか。」
この言葉は、現代社会にもそのまま当てはまります。
経済的に成功しても、家庭が壊れていたり、心が安らがなかったりする人は少なくありません。
なぜそうなるのか。
新渡戸はその原因を、「成功」と「成長」を混同していることに見出します。
「成功」と「成長」は、似て非なるもの
新渡戸は次のように語ります。
「自己の成長と成功とはなかなか一致しないものだ。
なぜなら、世の中での立身出世を目指す場合はその成功の基準を外部に求めるが、自己の成長を求める場合はその基準を自己の内部に設けるからだ。」
つまり、
- 成功(Success) … 他人からの評価・社会的地位・金銭的報酬
- 成長(Growth) … 自分の中での変化・誠実さ・善性の発揮
この2つは、方向性がまったく違うのです。
成功は「他人との比較」から生まれますが、成長は「昨日の自分との比較」から生まれます。
そのため、外的な成功を追い求めすぎると、内面の平和を失ってしまう。
新渡戸はこの危険性を鋭く指摘しています。
外に基準を求めると、心は不安定になる
現代では、SNSのフォロワー数や収入、肩書きなど、
「外の基準」で人の価値が測られがちです。
しかし、それらは常に変化し、誰かと比べられるもの。
他人の基準に合わせた「成功」は、一瞬の満足のあとに虚しさを残します。
一方で、「自分の中の基準」で生きる人は、安定しています。
たとえ結果が思うように出なくても、
「自分の信念を貫けたか」「誠実に努力できたか」で判断できるからです。
新渡戸が説く「自己成長」とは、
自分の内なる善性に従って生きること。
その軸があれば、外の評価に左右されることはありません。
「成功者」に見える人ほど、善性を失いやすい
新渡戸は、功名心に走る危険についても警鐘を鳴らしています。
「彼らは自己の善性を発揮せずに、いたずらに功名や手柄を得ることに走ったのだ。」
成功を目指すこと自体は悪ではありません。
しかし、それが「善性(良心)」を犠牲にしてまで得たものであれば、
その成功は**“不幸な成功”**に変わってしまうのです。
仕事のために家族を犠牲にしたり、
地位を守るために誠実さを捨てたりすることは、
見た目の成功であっても、内面的には退歩です。
真の成長とは、「成功の過程で人間性を失わないこと」。
それが、新渡戸稲造の説く“人としての成功”なのです。
「内的成功」を目指す生き方
私たちはしばしば「成功したい」と思いますが、
その願いを「どう成功したいか」に変えるだけで、生き方が大きく変わります。
- 収入を得るためではなく、価値を生み出すために働く
- 他人に認められるためではなく、自分が納得できる行動を選ぶ
- 地位を高めるためではなく、人格を磨くために努力する
このように「内的成功」を目指すと、
外の結果に振り回されない、しなやかで幸福な生き方ができます。
新渡戸の思想は、現代で言う「ウェルビーイング(心の幸福)」そのものなのです。
まとめ:成功よりも、誠実な成長を
新渡戸稲造『人生読本』の言葉は、
物質的成功がすべてとされる現代社会に、
「人としての原点」を思い出させてくれます。
- 成功は“外”に基準がある
- 成長は“内”に基準がある
- 善性を保ち、誠実に生きることが、真の成功である
本当の成功とは、社会的地位ではなく、
心の中に誇れるものを持つこと。
それを忘れずに日々を生きることが、
最も尊い「自己成長」なのです。
