勇敢な犯罪者など存在しない|アドラー心理学が示す「臆病」と「英雄主義」の錯覚
ニュースやドラマの中で、犯罪者が「自分は勇敢だ」「社会に挑戦している」と主張する場面を見ることがあります。
一見すると大胆で勇敢に見えるかもしれませんが、心理学者アルフレッド・アドラーはこの考え方をきっぱりと否定しました。
著書『人生の意味の心理学』の中で、彼はこう述べています。
犯罪とは、臆病な人間が「英雄主義」を語ることだ。
犯罪者は虚構の世界で自分の優越性を誇示し、英雄的存在だと信じ込みがちだ。
つまり、犯罪者が「勇敢」だと主張しても、それは誤った解釈であり、真の勇気ではないのです。
犯罪者はなぜ「勇敢さ」を語るのか
犯罪行為には大きなリスクが伴います。
それにもかかわらず、なぜ犯罪者は自らを「勇敢」だと考えるのでしょうか。
- 恐怖を隠すため
自分の臆病さを認められず、「勇気がある」と言い張る。 - 虚構の優越感
社会のルールを破ることで「特別な存在」だと思い込みたい。 - 他者からの承認欲求
「英雄的存在」として扱われることで、自分の価値を確認したい。
しかし、これらはすべて「真の勇気」ではなく、臆病さの裏返しにすぎません。
真の勇気とは何か
アドラー心理学が説く「勇気」とは、困難に立ち向かい、社会に貢献する形で問題を解決する力です。
- 責任を引き受ける勇気
- 他者と協力する勇気
- 自分の弱さを認める勇気
これらがあってこそ、人は本当に「勇敢」と呼ばれるのです。
犯罪はその逆であり、責任から逃げ、他者を傷つけ、自分の優越性を虚構の中で誇示する行為にすぎません。
犯罪者が欠いているもの
アドラーは、犯罪者が欠いているのは次の3つだと考えました。
- 共同体感覚
「自分は社会の一員だ」という感覚が薄く、他者を無視する。 - 楽観主義
困難を克服できるという前向きな信念がなく、短絡的な行動に走る。 - 真の勇気
社会的に建設的な方法で課題を解決しようとする姿勢がない。
つまり、犯罪者は「勇敢さ」を装っているものの、実際には臆病で、社会的な成熟を欠いているのです。
教育や社会にできること
では、私たちは子どもや若者に「真の勇気」をどう育てればよいのでしょうか。
- 勇気づけを日常に取り入れる
「やってみてよかったね」「挑戦したのは素晴らしい」と声をかける。 - 小さな成功体験を積ませる
安全な環境で挑戦を経験し、「困難は克服できる」と学ばせる。 - 社会的貢献の体験を与える
家庭や学校、地域での役割を担い、「自分の力は誰かの役に立つ」と感じさせる。
こうした教育が、安易に犯罪や逸脱行動に走らない土台をつくります。
大人自身も問われている
このテーマは、子どもや若者に限った話ではありません。
大人であっても、自分の弱さを隠すために「虚勢」を張ることがあります。
- 仕事でのミスを誤魔化す
- 他者を支配することで強さを示そうとする
- 無謀な挑戦を「勇気」だと勘違いする
しかし、これらも「勇気」ではなく「臆病の裏返し」にすぎません。
真の勇気とは、自分の弱さを認め、協力を求め、責任を担う姿勢なのです。
まとめ
「勇敢な犯罪者など存在しない」――アドラー心理学はこう断言します。
犯罪は臆病の裏返しであり、虚構の英雄主義にすぎません。
本当の勇気とは、困難を克服し、社会に貢献する形で課題を解決する力です。
子どもにも大人にも必要なのは、「虚勢」ではなく「真の勇気」を育てる教育と実践です。
