「それは君のものではない」──エピクテトスに学ぶ本当の所有とは
本当の「自分のもの」とは何か
エピクテトスは『語録』の中でこう述べています。
「妨げられたり、奪われたり、強いられたりするものは、自分のものとは言えない――だが、何ものにも阻まれないものは、自分のものである」
この言葉は、私たちが普段「自分のもの」と考えているものの多くが、実際にはそうではないということを示しています。財産や地位、健康、人間関係──それらは一見すると自分の所有物のように思えますが、実際には外部の力や偶然によって簡単に失われてしまうからです。
所有の幻想
環境保護活動家ダニエル・オブライエンは、自身が管理する広大なバッファローの放牧地について「私はこの土地を所有しているわけではない。ただ銀行にローンを払っている間、そこに住まわせてもらっているだけだ」と冗談交じりに語りました。
このユーモアには深い真理があります。土地も財産も、長い時間の流れの中では一人の人間が永遠に持ち続けることはできません。実際には、それらは一時的に「預かっている」にすぎないのです。
マルクス・アウレリウスも同様に、私たちの命そのものさえ「預かりもの」であると述べています。死が必ず訪れる以上、命を「所有する」と言える人はいません。
奪われるものと奪われないもの
- 奪われるもの:お金、地位、名誉、健康、人間関係。これらは努力で得られるかもしれませんが、外部要因によって一瞬で失われる可能性があります。
- 奪われないもの:自分の判断、態度、選択の自由。これは誰にも奪うことができず、自分自身の内面に宿っています。
ストア派の哲学は、この「奪われないもの」にこそ本当の価値を見いだすよう私たちに促します。
所有欲がもたらす不安
現代社会は「所有」に価値を置く風潮が強くあります。家、車、ブランド品、フォロワーの数──それらを持つことで安心や満足を得ようとします。しかし、それらは常に失う可能性を抱えており、所有すればするほど「失う恐怖」に縛られるのです。
本当に自由で心が安らぐのは、「失われないもの」を大切にするときです。つまり、自分の判断力や生きる態度にこそ価値を置くことです。
現代に活かす3つの実践
- 「預かりもの」と考える:財産や人間関係も永遠ではないと理解する。
- 内面の自由を磨く:態度や選択は自分のものだと意識して育てる。
- 失うことを恐れすぎない:失う可能性があるからこそ、今あるものを感謝して味わう。
まとめ
エピクテトスやマルクス・アウレリウスが語ったように、私たちは何ひとつ「永遠に所有すること」はできません。財産も地位も人間関係も、すべては一時的に与えられたものにすぎないのです。
では、私たちが本当に「自分のもの」と呼べるものは何か。それは外部に左右されない、自分の判断や態度です。
「それは君のものではない」という言葉を胸に、失うことを恐れず、今ここにある命を預かりものとして丁寧に生きてみましょう。
