「盗人、変質者、人殺し、暴君――彼らの言う快楽とはいかなるものか、よく考えてみよ。」
これはローマ皇帝であり哲学者でもあったマルクス・アウレリウスが『自省録』に残した警句です。彼が問いかけているのは、「人間が追い求める快楽は、果たして本当に価値あるものなのか?」という根源的な問題です。
快楽の末路を考える
他人を非難することは賢明ではありません。しかし、快楽に溺れた人がどんな末路をたどったかを振り返ることには意味があります。
作家アン・ラモットは、著書の中でこう冗談を言いました。
「神様がお金についてどう考えているか、不思議に思ったことはない? 神様からお金を受け取った人々を見れば分かる。」
これはお金に限らず「快楽」にもあてはまります。快楽ばかりを追い求める人の結末を見れば、その正体が分かるのです。
- 独裁者が築いたハーレムは、裏切りと策略に満ちていた
- 有望な若手女優がパーティー漬けの生活から薬物依存に陥り、キャリアを失った
- 名声と富を得たはずの人物が孤独や虚無感に苦しんだ
こうした事例は、快楽が幸福を保証するどころか、むしろ破滅を招く可能性が高いことを示しています。
欲望の「大行進」に巻き込まれるな
人間には本能的に「もっと欲しい」と思う欲望があります。これは自然な衝動ですが、制御できなければ「大行進」のように止められなくなります。
- 美味しいものをもっと食べたい
- お金をもっと稼ぎたい
- 承認をもっと得たい
これらは一見無邪気な欲望に見えます。しかし、歯止めが効かなくなると、それは悪習や依存へと変わり、心身を蝕んでいきます。
本当に価値があるのか?
欲望に引きずられそうになったとき、自分に問いかけるべきです。
「それは本当に価値があるのか?」
「それをして本当に楽しいのか?」
例えば――
- 夜更かしして動画を見続けることは、本当に自分を幸せにするのか?
- 衝動買いしたモノは、長く満足を与えてくれるのか?
- 飲み会のはしごで翌日を台無しにするのは、本当に楽しいのか?
冷静に問い直すことで、欲望の「大行進」から一歩引くことができます。
快楽ではなく自制が幸福をもたらす
ストア哲学は、快楽の否定ではなく「欲望に支配されないこと」を強調します。
本当の幸福は、快楽を追いかけることではなく、自制によって得られる心の安定にあります。
- 快楽に勝ったときの誇り
- 誘惑を断ったときの自信
- 欲望を制御できたときの自由
これらは一時的な享楽よりもはるかに持続する喜びを与えてくれます。
まとめ ― 欲望を見極める目を持とう
欲望や快楽は一見輝かしく見えます。しかし、その行進についていくと、やがて破滅や空虚さに行き着く危険があります。
マルクス・アウレリウスが『自省録』で促すように、私たちは「快楽の末路」をよく考えるべきです。そして、欲望が本当に価値あるものかどうかを問い直すことで、より確かな幸福に近づけます。
欲望の大行進に流されるか、自分の意思で立ち止まるか――その選択が、あなたの人生を大きく左右するのです。