「望むとおりに生き、何ものにも強制されず、邪魔されず、制限されない人は自由である。」
これはストア派の哲学者エピクテトスが『語録』に記した言葉です。自由とは、権力や財産を持つことではなく、自分を正しく導き、不要な束縛から解き放たれることを意味します。
本当に自由に生きているか?
多くの人が毎日「しなければならないこと」に時間を奪われています。しかし問題は、仕事や家庭のような必要な義務ではありません。
- 人に良く見られたいという虚栄心
- 「断れない」性格から背負い込んだ用事
- 無意識の衝動や欲望に流される行動
これらは本当に必要な義務でしょうか? 実際には「やらなくてもいいこと」に縛られている場合が多いのです。
セネカが語る「自ら奴隷になる人々」
ストア派の哲学者セネカはこう指摘しました。権力者ですら、自分の財産や地位、愛人の奴隷になってしまうことが多い、と。
「自ら奴隷になることほど惨めなものはない。」
これは古代ローマの話にとどまりません。現代でも同じです。
- 友人の尻ぬぐいを延々と繰り返す共依存
- 部下を信頼できず管理に固執する上司
- 忙しいのに断れず参加を約束してしまうイベントやパーティー
これらは外部から強制されたものではなく、自分で背負い込んだ「奴隷状態」です。
自由を奪うのは他人ではなく自分
多くの場合、私たちを不自由にしているのは他人ではなく、自分の選択です。
- 「嫌われたくない」という気持ちが断れない原因
- 「完璧でいたい」という欲望が仕事を抱え込みすぎる原因
- 「楽しそうだから」とつい約束してしまう衝動
つまり、自由を奪っているのは外部ではなく、内側の自分自身なのです。
自由を取り戻すための実践
ではどうすれば、真の自由を取り戻せるのでしょうか。
- 自分の義務を一覧化する
すべての予定や責任を書き出し、本当に必要かを見直す。 - 「断る勇気」を持つ
自分を犠牲にしてまで果たす義務なのかを考える。 - 動機を点検する
「人に良く思われたいから」や「断れないから」といった理由で引き受けていないか? - 己を知る習慣を持つ
自分の価値観、欲望、弱点を理解することで、不要な隷属を避けられる。
まとめ ― 己を知ることが自由への第一歩
エピクテトスが説く自由とは「望むとおりに生きること」です。そしてセネカが警告するように、自ら進んで奴隷になることほど惨めなことはありません。
真の自由を手にするには、まず己を知り、虚栄や欲望から生まれる不要な義務を手放すこと。
自分に問いかけてみましょう。
「私は本当に自由だろうか?」
答えを探すその瞬間から、自由への道は始まります。