なぜ人は努力する仲間を妨げてしまうのか?幸田露伴『努力論』に学ぶ「同級感情」の罠
「同級感情」とは何か——群れの中で生まれる見えない圧力
幸田露伴は『努力論』の中で、人間社会における非常にリアルな感情の構造を描き出しています。
それが「同級感情(どうきゅうかんじょう)」という概念です。
もう少し精緻な作業をしようと思えばできる余地や時間があっても、
「まあこの程度でいいだろう」と妥協してしまう。
それが同級感情である。
つまり、「周囲と同じレベルで安心したい」という心理です。
同じ集団に属する人たちの間で、無意識に“平均的な基準”を守ろうとする感情が生まれる。
露伴は、この感情が人間の成長を最も強く妨げると指摘します。
「同級感情」が生む“足の引っ張り合い”
露伴はさらにこう述べます。
たまたま非常に勤勉な人がいて、同僚よりも丁寧な仕事をしたとする。
その仕事のレベルが同級感情を超えるものであれば、その人は妨害を受けることになる。
これはまさに、努力する人が浮いてしまう現象を的確に表しています。
周囲と同じペースで進んでいる間は仲間意識が保たれます。
しかし、一人が突出して努力を重ねると、他の人たちの「同級感情」が刺激され、
“自分たちが劣って見える不快感”が生まれてしまうのです。
結果として——
- 噂や陰口で引きずり下ろそうとする
- 「空気を読め」と圧力をかける
- 改善提案や挑戦を無視する
といった形で、努力する人を排除しようとする。
露伴はそれを**「同級感情が害された結果」**と呼んでいます。
同級感情はなぜ危険なのか?
同級感情の怖さは、それが「悪意のある行動」ではなく、自然な心理現象として起こる点にあります。
- 「自分だけが頑張っても意味がない」
- 「みんなやってないから、まあこの程度でいい」
- 「出る杭になると損をする」
こうした言葉は、まさに同級感情の典型的な表れです。
人間は集団に属することで安心を得ますが、同時に「突出することへの恐怖」を抱きやすい。
この感情が蔓延すると、組織全体のレベルが停滞し、成長が止まるのです。
露伴はここで鋭く警告します。
「この感情を反省しないかぎり、社会の進歩はありえない。」
つまり、同級感情に甘えることは、社会の進化を止める行為でもあるのです。
「同級感情」を乗り越える3つの方法
露伴の言葉を現代的に読み替えるなら、同級感情を乗り越えるには次の3つの姿勢が重要です。
1. 比較ではなく「基準」を自分に置く
周囲のレベルではなく、「昨日の自分」と比べること。
誰かより上か下かではなく、成長の基準を自分の中に作ることが第一歩です。
2. 他人の努力を“脅威”ではなく“刺激”として受け止める
周囲の頑張りを見たとき、「すごいな」「負けたくないな」と前向きに感じられれば、
同級感情は“競争”ではなく“切磋琢磨”へと変わります。
3. 自分の努力を「見せびらかさない」
露伴の時代から今に至るまで、努力を嫌う人は少なくありません。
努力を誇示せず、静かに実力を積み上げることが、最も賢い生き方です。
現代社会にも生きる「露伴の警鐘」
露伴がこの章で描いた同級感情は、職場や学校、SNSなど、あらゆる場所で今なお見られます。
「平均的でいたい」という無意識の心理が、優秀な人を抑え込み、
結果として組織全体を停滞させてしまう——。
だからこそ、私たちは時々立ち止まり、こう自問すべきです。
「自分は“同級感情”に縛られていないだろうか?」
成長を恐れず、他人の努力を認める。
それが、社会をより良くする第一歩なのです。
まとめ:同級感情から抜け出す勇気を持とう
幸田露伴が『努力論』で伝えたのは、**「人は群れの安心感に流されやすい」**という人間の弱さです。
しかし同時に、それを自覚し乗り越えることで、個人も社会も進歩できるとも語っています。
周囲の基準に合わせる安心よりも、
自分の理想に向かって努力する誇りを選ぶ。
それが、同級感情を超えて生きるための本当の“努力”なのです。
