必死の国民を「笑った」政治家たち。残酷な永田町の正体
「非常時」にさえ金を出さない守銭奴たち
財政再建派の政治家たちは、平時においてこう主張し続けてきた。「今、痛みを伴う改革が必要なのは、将来の非常時にお金を出すためだ」と。しかし、いざコロナ禍という未曾有の危機が訪れた時、彼らは何をしたか。結局、財布の紐を固く締め、十分な補償を拒んだのである。「非常時のため」という言葉が、単なる口実であったことが露呈した瞬間といえる。彼らにとっての目的は、国民を救うことではなく、帳簿上の数字を合わせる「財政再建」そのものだったのだ。
懇願する国民を嘲笑う世襲議員の傲慢
さらに許しがたい光景がある。コロナ禍の最中、崖っぷちに立たされた業界団体の代表たちが、自民党の会議で必死に頭を下げていた時のことだ。「給付が無理なら、せめて融資だけでも早くしてくれ」。なりふり構わぬその悲痛な訴えを聞いて、一部の議員たちは鼻で笑っていたという。「タダで金をもらえると思っているのか」「備えがないのは経営者の責任だ」。彼らはそう吐き捨てた。いつ終わるとも知れないパンデミックに対して、万全の備えができる中小企業など存在するはずがない。国民の死活問題を「自己責任」と嘲笑う彼らの姿こそ、共感性の欠如した永田町の残酷な本性である。
「バラマキ」の本当の意味を履き違えるな
国民のために税金を使うと、すぐにマスコミや野党は「バラマキだ」と批判する。だが、少子化対策や教育、困窮者への救済にお金を使うことは、国家として当たり前の投資であり、断じてバラマキではない。真のバラマキとは、岸田政権や石破政権が行ってきたような、戦略なき海外支援のことだ。中国のように国益を見据えた冷徹な計算があるならまだしも、日本の場合はただ「言われるがまま」にお金を運び、海外でいい顔をするためだけに使っている。これこそが国益を損なう浪費であるといえる。
温室育ちの政治家に「痛み」は分からない
なぜ、これほどまでに政治の感覚がズレているのか。それは、国の中枢を占めるのが世襲議員ばかりだからだ。「箸」と言えば箸が出てくるような、何不自由ない環境で育った彼らに、明日の資金繰りに奔走する経営者の苦しみや、生活保護寸前の国民の不安など理解できるはずがない。ビジネスの現場を知らず、生活の痛みを知らない「政治ごっこ」の住人たちが舵を取る限り、この国に真の救済が訪れることはないだろう。
