「全員が成功者になれ」という政治家の狂気と中間層の崩壊
永田町の住人が見ている「歪んだ現実」
政治家や官僚が語る「改革」には、常に庶民感覚との決定的なズレがある。なぜなら、彼らが日常的に接しているのは、永田町や霞が関に出入りできるごく一部の「成功した経営者」や「資産家」ばかりだからだ。「私はこうして成功した。だから国民も皆こうすればいい」という生存バイアスのかかった成功体験を真に受け、それをそのまま政策に反映させようとする。その典型が「リスキリング」や「起業支援」への偏重であるといえる。誰もがパソコン一台で起業し、ベンチャー社長になることなど土台無理な話であり、もし全員がそうなれば、社会インフラを支える現場の仕事は誰が担うのか、という視点が完全に欠落しているのである。
政治の役割は「天才」ではなく「土台」を作ること
政治が本来目指すべきは、「最大多数の最大幸福」である。突出した才能を持つ人間や、リスクを恐れない起業家というのは、放っておいても勝手に頭角を現すものだ。政治があえて彼らを育てる必要はない。むしろ政治の責務とは、そうした挑戦者が失敗しても戻ってこられる「安心できる土台」を作ることにある。真面目に日々働き、地味に暮らしていれば、家族を養い、子供を育てられる。そんな当たり前の「中間層の生活」を守ることこそが、国家の安定には不可欠なのだ。
中間層を狙い撃ちにする消費税の正体
しかし、近年の日本政府が進めてきたのは、この中間層を徹底的に破壊する政策であったといえる。かつて日本が誇った「一億総中流」は、ある種の支配層にとっては脅威だったのかもしれない。知性と協調性を持ち、経済的に自立した分厚い中間層は、コントロールしにくい存在だからだ。そこで利用されたのが消費税である。この税金は、構造的に「強い者に優しく、弱い者に厳しい」性質を持つ。赤字の中小企業からも容赦なく税をむしり取り、価格転嫁できない立場の弱い事業者を淘汰していく。
「普通の幸せ」を取り戻すために
財務省は「消費税は消費者が全額負担している」というプロパガンダを流布しているが、実態は中小企業の体力を削ぎ、雇用を不安定にさせている元凶である。中間層を弱らせ、貧困化させる政策が続く限り、日本に真の豊かさは戻らない。「特別な成功者」にならずとも幸せになれる社会。それを取り戻すことこそが、今求められている政治の原点なのである。
