「総理になりたかっただけ」の政治家と税金の正体
総理という椅子が「ゴール」になった政治家たち
一国のリーダーが「何を成し遂げたいか」というビジョンを持たず、ただその地位に就くことだけを目的としたなら、これほど国民にとって不幸なことはない。岸田前総理、そして現在の石破総理。彼らに共通して見え隠れするのは、手段であるはずの権力が、いつしか自己目的化してしまった姿である。岸田氏は財務省の意向に沿うことで政権を維持し、石破氏は長年の執念で総理の座を射止めたものの、その後の準備が決定的に欠落している。やりたいことがないまま権力を握ったリーダーが国を率いる危うさが、今の日本政治を覆っているといえる。
「頭の良い」増税とステルス負担の罠
岸田政権の手法を振り返ると、ある意味で非常に巧妙、かつ悪質であったといえる。批判を浴びた「増税」のイメージを払拭しようと、経理コストがかかるだけの複雑な定額減税を行う一方で、裏では雇用保険や社会インフラ料金の実質的な値上げを着々と進めていたからだ。「やってる感」を演出しつつ、国民の手取りをステルスで削り取る。頭の回る官僚主導の政治が、いかに国民生活を疲弊させるかという悪例である。それに比べれば、何もできずに立ち尽くす石破政権の方が、余計なことをしない分まだ「マシ」とさえ思えてくるのが、今の日本の皮肉な現実である。
財源の正体は「税」ではなく「国債」である
だが、誰が総理になろうとも、経済政策の根本認識が誤っていれば国民は救われない。特に「財源」に対する誤解は致命的だ。メディアや政治家は「社会保障費が足りないから増税が必要だ」と繰り返すが、この前提自体が疑わしい。過去30年、日本は国債残高を増やし続けたが、懸念されたインフレも金利暴騰も起きなかった。事実は理論よりも雄弁である。政府が国債を発行して通貨を生み出し、それによって民間に富を供給する。政府の赤字は、すなわち民間の黒字なのである。この構造を無視して税と保険料だけで賄おうとすれば、国民が貧しくなるのは必然といえる。
税金の本来の役割を知れば景色が変わる
では、税金は何のために存在するのか。それは「財源」を集めるためではなく、景気の過熱を抑えたり、格差を是正したりするための「調整弁」である。まず国が通貨を生み出し、それを使ってサービスを提供し、結果として市場に回ったお金の一部を税として回収する。この順序こそが通貨の仕組みである。不況時に増税をするなど愚の骨頂であり、本来は減税で民間の手元にお金を残すべきなのだ。財政規律という亡霊に囚われず、「財源は国債でよい」という事実に立ち返らない限り、私たちの暮らしが真に豊かになることはないだろう。
