「こんな環境だから、自分らしく生きられない」。そう思ってしまうことはありませんか? しかし古代ローマの皇帝であり哲学者でもあったマルクス・アウレリウスは『自省録』でこう語っています。
「人が生きることができる所であれば、善く生きることもできる」
つまり、どんなに面倒が多く不完全な環境であっても、善い生き方を実践することは可能だというのです。
リンカーンは「政治家として」善く生きた
アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンは、しばしば神格化され、貧しい生い立ちや独学での成功、美しい演説ばかりが強調されます。しかし学者ウィリアム・リー・ミラーは、彼を政治家として捉え直すことで本当の価値を浮かび上がらせました。
リンカーンの偉大さは「政治という魑魅魍魎の世界」に身を置きながらも、愛情深く、公平で、思慮深く、決然として振る舞ったことにあります。政治の世界は利権や対立に満ちていますが、その中でも彼は原則を見失わず、プラグマティックに振る舞ったのです。
原則を守りながら、現実に適応する
「原則を守る」ことと「現実に適応する」ことは、対立するもののように思われがちです。しかし両立は可能です。むしろ、現実を無視して原則を振りかざすだけでは独善的になり、逆に原則を放棄して現実に流されてしまえば、自分を見失います。
大切なのは、現実に即して柔軟に行動しながらも、軸となる原則を見失わないことです。リンカーンもまた、対立を和らげるために妥協する場面はありましたが、その根底には常に「自由と平等」という揺るがぬ原則がありました。
現代社会での実践
私たちが生きる現代社会もまた、複雑で面倒の多い場です。政治の世界でなくても、職場の人間関係や物質主義の風潮、あるいは閉鎖的な地域社会など、さまざまな制約があります。しかし、次のような姿勢を持てば「どこでも善く生きる」ことは可能です。
- 職場が厳しくても:誠実さと公平さを貫く。
- 物質主義の社会でも:欲望に流されず、自制を保つ。
- 考え方の狭い環境でも:寛容さと広い視野を持ち続ける。
まとめ
マルクス・アウレリウスの言葉も、リンカーンの生き方も、「環境を理由に善い生き方を諦めるな」と教えてくれます。現実に適応しつつも、自分の原則を見失わないこと。これこそが、どんな環境にあっても善く生きるための鍵なのです。