勝っている間に負けたときの準備をせよ──新渡戸稲造『自警録』に学ぶ、成功の中にある危機管理の智慧
「勝っているときこそ、負けを想定せよ」
新渡戸稲造は、『自警録』の中でこう警告します。
「人生において連戦連勝を望むことはできない以上、人は勝っている間に、あらかじめ負けたときの準備をしておくことが大切だ。」
どんなに順調な人生にも、波は必ず訪れます。
勝ち続けることはできない——だからこそ、勝っている間に“負けの時”に備えておくことが、真の賢さだというのです。
私たちは、物事が上手くいっているときほど油断しがちです。
しかし、その油断こそが、次の敗北の種を育てます。
新渡戸はそれを戒め、**「成功の中にこそ危機管理を」**と説くのです。
「損失準備金」の発想で人生を考える
「これは、たとえていうならば、企業の場合は損失準備金を積み立てておくことであり、個人の場合でいえば、生命保険なり火災保険に入っておくようなものだ。」
この比喩は非常にわかりやすいものです。
企業が黒字のうちに将来の赤字に備えて“損失準備金”を積むように、
人間も順調なときにこそ、心の準備をしておくべきなのです。
- 健康なうちに、病気への備えを
- 経済的に余裕があるうちに、節度ある生活を
- 信頼されているうちに、謙虚な心を
まさに、「備えあれば憂いなし」という古い格言の精神を、新渡戸は現代的な思考法として提示しています。
「待てよ」と一歩引く心の余裕
「勝っているときにこそ、『待てよ』と一歩下がって考える余裕をもたなければならない。」
新渡戸のこの一言は、成功者への最大の警鐘です。
人は勝っているときほど、自分を過信しやすくなります。
勢いに乗り、判断が甘くなり、慎重さを失う——そこにこそ危機が潜んでいます。
だからこそ、勝っているときほど立ち止まる勇気を持て。
「今は順調だが、油断はないか?」
「もし失敗したら、どこが弱点になるか?」
こうして自らに問いかけることが、成功を持続させる秘訣なのです。
勝利の最中に「謙虚さ」を忘れない
新渡戸稲造は、勝っているときこそ謙虚であるべきだと強調します。
それは単なる道徳的な意味ではなく、生存のための現実的な知恵です。
歴史を見ても、驕りから崩れた国や組織は数え切れません。
豊臣秀吉の天下、ローマ帝国の繁栄、近代企業の急成長——
どれも絶頂期に「油断」と「慢心」が入り込み、衰退へと向かいました。
新渡戸は、その人間の弱さを見抜き、「勝っている間に、すでに負けの芽がある」と教えてくれます。
「危機感」は、恐れではなく知恵
ここで重要なのは、備えることは恐れることではないという点です。
新渡戸のいう「準備」とは、悲観ではなく冷静な洞察。
恐れにとらわれて行動を止めるのではなく、未来を見据えて行動を整えることです。
現代でいえば、これはまさに「リスクマネジメント」や「サステナブル経営」に通じます。
恐れず、しかし慢心せず。
一歩先を読むことで、人生も仕事も安定していくのです。
勝っているときの“修養”こそ本物
本当の修養とは、苦しいときにだけ発揮されるものではありません。
むしろ、順調なときにこそ心を律する力が問われます。
新渡戸のいう「修養」は、単なる精神論ではなく、行動の習慣化。
たとえば:
- 成功しても感謝の気持ちを忘れない
- 周囲の助けを認識し、独りよがりにならない
- 次の一歩を計画する前に、現状を客観的に振り返る
こうした日々の心がけが、勝ち続ける人と崩れる人の分かれ目になります。
まとめ:勝ち続けるためには、負ける覚悟を
『自警録』のこの章が伝えるのは、単なる「用心深くあれ」という忠告ではありません。
それはむしろ、成熟した人間の構え方を教えています。
- 人生に連勝はない。だからこそ、勝っているうちに備えよ。
- 成功している今こそ、「もしものとき」を考える余裕を持て。
- 勝利の中で謙虚さを保つことが、次の勝利を生む。
つまり、**「勝つために備える」のではなく、「負けても立ち上がるために備える」**のです。
この姿勢こそが、新渡戸稲造の説く「真の強さ」です。
最後に
現代風に言い換えるなら、新渡戸のこの教えはまさにこうです。
「順調なときこそ、冷静に一歩引け。そこにこそ、次の成功がある。」
成功とは、油断の果てに崩れるものではなく、備えによって守られるもの。
人生も仕事も、勝っているときの慎みこそが、未来の勝利を支えるのです。
