政治・経済

『10億円の工場が無価値に?経済を支える「生産諸力」の正体』

taka

砂上の楼閣としての資本

前回、経済活動における「生産」には、工場や機械、そして技術といった「資本」の蓄積が不可欠であると述べた。 しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。 果たして、資本さえあれば、それだけで経済は回るのだろうか。 少し極端な例で思考実験をしてみたい。

仮に、手元に10億円の資金があり、立派な工場を建設したとする。 最新鋭の機械を導入し、建屋も完成した。 これらは間違いなく、生産のための立派な資本である。 しかし、いざ操業を始めようとした矢先、思わぬ壁に直面する。 まず、工場へ続く道路が整備されておらず、原材料を積んだトラックが到着できない。 さらに、電気・ガス・水道といったライフラインが通っておらず、機械を動かすことも、従業員が手を洗うこともできない。 これでは、10億円の工場もただの巨大な箱に過ぎない。

事態はさらに悪化する。 インフラの不備に頭を抱えていると、突然、暴漢たちが現れて工場を不法に占拠してしまった。 警察に助けを求めようにも、治安維持の仕組みが機能しておらず、訴えるべき裁判所も存在しない。 極めつけには、この土地の支配者を名乗る権力者が現れ、「この工場は今日から私のものだ」と宣言し、何の補償もなく没収されてしまう。

投資意欲を削ぐ環境

さて、このような理不尽がまかり通る環境下で、私たちは身銭を切って投資をしようと思うだろうか。 答えは、断じて否である。 莫大な借金を背負って工場を建てても、利益が出るどころか、財産そのものを奪われるリスクがある。 これでは、誰もビジネスなど始めないし、経済活動は停滞の一途をたどるだけだ。 つまり、現実の経済において資本が機能するためには、その土台となる強固な基盤が必要不可欠なのである。 道路やダムといった物理的なインフラストラクチャーはもちろんのこと、法制度や治安といった社会的な仕組みが存在して初めて、人々は安心して資本を蓄積することができるのだ。

フリードリヒ・リストの慧眼

19世紀ドイツの経済学者、フリードリヒ・リストは、この社会的な生産基盤のことを「生産諸力」と名付けた。 彼は、当時のヨーロッパ経済がアジアに比べて発展した理由を、単なるお金や資源の多寡ではなく、この生産諸力の有無に見出したのである。

リストが挙げた生産諸力の例は多岐にわたる。 文字としてのアルファベット、印刷技術、郵便制度、度量衡の統一、暦や時計による時間の共有、そして治安警察や自由な土地所有制度などである。 一見、経済とは直接関係なさそうに見えるものも含まれているが、想像してみてほしい。 取引相手と話す言葉や文字が通じず、お金の単位も長さの基準もバラバラで、お互いの時計が指す時間さえも異なっていたらどうなるか。 そのような混沌とした世界で工場を運営し、商取引を行うことは、不可能に近いほどのストレスと労力を要する。 共通の言語、共通のルール、そして私有財産を守る法律があってこそ、ビジネスは円滑に進むのである。

共同体が担う経済の根幹

この「生産諸力」という概念の重要な点は、それが個人の力だけでは決して整備できないという事実にある。 どれほど優秀な経営者であっても、自分一人で国の法律を制定することはできないし、ポケットマネーで全国規模の高速道路網を建設することも不可能だ。 これらは「共同体」、すなわち国家や自治体が主導して整備し、厚みを持たせていくべきものである。

司法制度を整え、インフラを建設し、教育や文化といった見えない資産を積み上げる。 そうやって共同体が生産諸力を高めることで初めて、個人や企業は安心して投資を行い、資本を蓄積することが可能になる。 私たちが普段、当たり前のように享受している道路や法律、そして安全は、経済成長を支えるための最も重要な「根幹」なのである。 資本主義という巨大な樹木は、生産諸力という肥沃な土壌があってこそ、その果実を実らせることができるといえるだろう。

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ABOUT ME
TAKA
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理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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