「和をもって尊しとなす」——平和は待つものではなく、つくり出すもの
「和をもって尊しとなす」——平和は“つくる”ものである
聖書のヘブル人への手紙12章14節には、こう書かれています。
「すべての人と平和を追い求めなさい。また、聖なる生活をしなさい。」
この言葉は、日本の古い価値観「和をもって尊しとなす」に通じる教えです。
しかし、ここで言う「和(平和)」は、ただ静かにしていれば得られるものではありません。
平和とは、努力によってつくり出すものなのです。
「和」は、黙っていれば保たれるものではない
多くの人が「波風を立てないこと」を“和”だと考えがちです。
たとえば、
- 意見を言わずに我慢する
- 相手に合わせて自分を押し殺す
- 嫌なことがあっても、笑ってやり過ごす
これらは一見「平和的」に見えますが、
実は表面的な静けさに過ぎません。
心の奥に不満や敵意が残っていれば、
それはいつか必ず噴き出し、関係を壊します。
本当の平和は、**「衝突を避けること」ではなく、「理解と愛によって調和を築くこと」**です。
平和は「自らつくるもの」
ヘブル書は、「すべての人と平和を“追い求めなさい”」と言います。
つまり、平和は“受け身で得られるものではない”ということです。
和を保つためには、積極的な姿勢が必要です。
- 相手を理解しようとする努力
- 自分から歩み寄る勇気
- 誤解を放置せず、対話しようとする意志
これらの行動があって初めて、和は生まれるのです。
たとえ相手が不機嫌でも、冷たい態度をとってきても、
あなたが「平和をつくる側」に立つことが大切です。
「和」を乱す最大の原因は、自分の内側にある
人間関係の衝突の多くは、外側ではなく、自分の内側の問題から始まります。
嫉妬、猜疑心、劣等感、プライド——
こうした“心の濁り”が、知らず知らずのうちに言葉や態度に現れ、
相手を傷つけたり、関係をこじらせたりします。
だからこそ、箴言ではなくヘブル書もこう強調します。
「まず何よりも、自分の内面を純粋にせよ。」
純粋な心には、争いの種が芽生えない。
他者の幸せを願う心の中にこそ、真の“和”が宿ります。
和を求めるとは、敵意を捨てること
「和」とは、すべての人と完全に意見が一致することではありません。
むしろ、違いを認め、敵意を持たないことです。
誰かに対して不満を抱くことは避けられません。
しかし、そこで敵意を持つか、理解しようとするかによって、
その関係の未来は大きく変わります。
和を求めるということは、
- 許すこと
- 聞くこと
- 尊重すること
の積み重ねです。
その中心にあるのは、「愛」です。
和を求める者は、神の愛に近づく
ヘブル人への手紙12章14節の最後には、こう書かれています。
「和を求める者は、神を見る。」
ここで言う「神を見る」とは、
愛の本質に触れるという意味です。
なぜなら、聖書は明言します。
「神は愛である。」
つまり、和を求めるということは、
人を愛し、理解し、尊重するという“神の性質”に近づくことなのです。
争いを避けることよりも、
愛によって平和を築く人こそ、真に強く、成熟した人です。
「和をつくる人」になるための3つのステップ
① 自分の心を清める
嫉妬や怒りをそのままにしない。
感情を整理し、まず自分の内側を平和に保ちましょう。
② 先に歩み寄る勇気を持つ
相手が変わるのを待たず、自分から一言かけてみる。
「ありがとう」「ごめんね」——その一言が関係を変えます。
③ 「愛すること」を選ぶ
正しいことより、愛のあることを選びましょう。
愛のある言葉、愛のある態度こそ、真の“和”を生みます。
終わりに:和は、あなたの心から始まる
「和をもって尊しとなす」という言葉は、
単なる調和のすすめではありません。
それは、自分の心を純粋に保ち、愛によって平和を築く使命です。
「すべての人と平和を追い求めなさい。」
——ヘブル人への手紙12章14節
和は、誰かが与えてくれるものではなく、
あなた自身が生み出すものです。
敵意を捨て、愛を選び、歩み寄る勇気を持つとき、
あなたの周りには自然と穏やかな和が広がっていくでしょう。
まとめ
- 「和」は、努力によってつくり出すもの
- 平和を築くには、まず内面を純粋にすること
- 愛と理解こそ、真の和を生む力
今日、あなたの周りにちょっとした不和や誤解があるなら、
まず自分の心の中を静かに整えてみてください。
「和をもって尊しとなす」——それは、愛の実践の第一歩です。
