『「合理的」という落とし穴。日銀利上げから考える国家の命運』
「合理的」の正体とは
私たちは日常の中で、意外と無自覚に「合理的」という言葉を使っているのではないだろうか。「あの判断は合理的だ」「もっと合理的に行動すべきだ」。そう口にするとき、私たちはその言葉の真の意味をどこまで理解しているだろう。私は「国家は生存のために合理的であるべきだ」という点には同意しつつ、一つの問いを投げかけた。「では、戦略的に合理的な行動ができない国は、どのような運命を辿るのか」と。
そもそも、「合理的」とは何なのか。文字通り解釈すれば、「理(ことわり)、すなわち理論に合致している」ということである。しかし、ここには致命的な落とし穴がある。それは、「その依拠している理論自体が、常に正しいとは限らない」という点だ。理論の前提が間違っていれば、それに従うことは、形式上は合理的であっても、結果としては破滅的な過ちになり得るのである。
経済理論と現実の乖離
この問題を考える上で、最近の日本銀行による「利上げ」は非常に示唆に富んだ事例といえる。まず、経済学の教科書的な理論において、中央銀行が金利を上げるべき「合理的な理由」とは何だろうか。
それは、景気が過熱している局面である。企業が銀行からの借金、つまり負債を過剰に増やし、設備投資を拡大させ、世の中の需要が供給能力を大きく上回ってしまう。いわゆる「インフレギャップ」の状態だ。物価が正常な範囲を超えて上がり続けるため、中央銀行は金利を上げて企業の借入意欲を抑制し、経済を冷やそうとする。これが本来の、理にかなった利上げのメカニズムである。
決して「円安だから利上げをする」という理屈ではない。そもそも為替レートを管轄しているのは財務省であり、日本銀行ではないからだ。もし「円安対策のために金利を上げる」という論理がまかり通れば、それは為替市場の都合で国内の金融政策が左右されることを意味する。それは日本国民が、自国の経済をコントロールする「金融主権」を失うことに他ならない。
二重の非合理に陥る日本
日銀自身も公式には「円安だから」とは言っていない。「賃金と物価の好循環」や「物価の基調的な上昇」を理由に挙げている。だが、現実のデータはどうだろうか。現在、日本企業は借金を増やすどころか、過去最大規模で資金を余らせ、返済や預金の積み上げに奔走している。つまり、利上げの前提となる「企業の過剰な借入」など、どこにも存在していないのだ。
それにも関わらず、利上げは断行された。これは明確に「非合理的な利上げ」であるといえる。問題の根深さは、これが「非合理」であると指摘する声があまりに少ないことだ。その背景には、メディアによる「円安悪玉論」に基づいた情報の偏りがある。「円安だから利上げしろ」という非合理な情報が世間に蔓延し、日銀自身もまた、経済の実態と矛盾する政策を選んだ。いわば、情報の受け手と送り手の双方で「二重の非合理」が起きている状況なのだ。
国家の存亡に関わる視点
合理的か、非合理的か。その判断を下すためには、流れてくる情報を鵜呑みにせず、言葉の定義や事実関係を「自分自身の頭」で咀嚼しなければならない。メディアや特定の勢力は、政治的な事情や意図を持って情報を誘導することがある。そのとき、私たちが思考を停止してしまえば、真実は霧の中に消えてしまう。
今回は経済政策を例に挙げたが、視点を広げれば、これは国家の存亡に関わる重大な教訓を含んでいる。もし、軍事や外交といった「国家戦略」のレベルで非合理な判断がなされたとしたらどうなるか。それは、そのまま亡国、すなわち国の破滅へと直結しかねない。 冷徹な現実として、国家がどれほど合理的な判断を積み重ねたとしても、悲劇的な結末を避けられないこともあるのが歴史の常だ。だからこそ、少なくとも明白な「非合理」によって自滅する道だけは、何としても避けなければならない。そのために必要なのは、私たち一人ひとりが、感情や雰囲気に流されず、理知的に物事を見つめる眼を持つことではないだろうか。
