猿まねはやめよ ― マルクス・アウレリウスとジョーン・ディディオンに学ぶ「人格」と自尊心
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ローマ皇帝であり哲学者でもあったマルクス・アウレリウスは『自省録』の中でこう語りました。
「自分自身を統べる理性、この宇宙の理性、またほかの同胞の理性のもとへ急ぎ赴け。」
この一文は、彼が日々の生活の中で「理性」を行動の中心に据えようとした決意を示しています。
もし理性が働いていないとしたら、私たちの行動は何によって決まるのでしょうか。
これらの力に流されているとき、私たちは「自由に生きている」と思っていても、実際には理性を手放しているにすぎません。
過去を振り返ると、理性的な判断よりも「考えたくない力」に突き動かされて行動した経験は誰にでもあるでしょう。
こうした行動は一瞬の快楽や回避のためには有効に思えても、長期的には必ず後悔を生みます。マルクスが説くのは、その根本的な原因が「理性の不在」にあるということです。
マルクスは理性を三つのレベルで捉えていました。
これらを意識することで、私たちの行動は一層「理性的なもの」へと近づきます。
怒りや不安を感じたら、すぐに反応せず呼吸を整える。衝動を理性が追いつくまで待つ。
小さな不快や不満に囚われるとき、「宇宙の理性」の視点を持ち出す。10年後に覚えているか?と自問すると、多くのことは取るに足らなくなる。
相手の無知や欠点に苛立つのではなく、「彼もまた理性を持ち、同じ人間だ」と思うだけで、寛容さが生まれる。
衝動や習慣に支配されるとき、私たちは不自由です。理性を軸に据えるとき、初めて自由に生きられます。
マルクス・アウレリウスが自らに言い聞かせたように、
「自分自身を統べる理性へ、宇宙の理性へ、そして同胞の理性へ」
と、日々戻っていくこと。これが、私たちが悔いなく生きるための最良の道なのです。