ローマ皇帝であり哲学者でもあったマルクス・アウレリウスは『自省録』の中でこう語りました。
「自分自身を統べる理性、この宇宙の理性、またほかの同胞の理性のもとへ急ぎ赴け。」
この一文は、彼が日々の生活の中で「理性」を行動の中心に据えようとした決意を示しています。
理性を失ったとき、何に支配されるのか?
もし理性が働いていないとしたら、私たちの行動は何によって決まるのでしょうか。
- 衝動:思わず怒鳴ってしまう、衝動買いしてしまう
- 気まぐれ:気分で意見を変える、やる気に任せて行動する
- 他人の影響:周囲に流され、望まぬ選択をする
- 無意識の習慣:考えずに繰り返す行動が、自分の時間を支配している
これらの力に流されているとき、私たちは「自由に生きている」と思っていても、実際には理性を手放しているにすぎません。
衝動に任せた行動は後悔を生む
過去を振り返ると、理性的な判断よりも「考えたくない力」に突き動かされて行動した経験は誰にでもあるでしょう。
- 感情に任せて言った言葉を後悔する
- 安易な誘惑に流され、後で自責の念に駆られる
- 面倒を避けて逃げた結果、問題が大きくなって返ってくる
こうした行動は一瞬の快楽や回避のためには有効に思えても、長期的には必ず後悔を生みます。マルクスが説くのは、その根本的な原因が「理性の不在」にあるということです。
三つの理性 ― 個人・宇宙・同胞
マルクスは理性を三つのレベルで捉えていました。
- 自分自身の理性
衝動に流されないよう、自分を導く軸。 - 宇宙の理性
世界の秩序の一部であることを忘れない視点。自分の都合だけでなく、大きな流れに調和して生きること。 - 同胞の理性
他者も同じ理性的存在であると理解すること。たとえ無知であっても、同じ人間として共感を忘れないこと。
これらを意識することで、私たちの行動は一層「理性的なもの」へと近づきます。
理性を取り戻すための実践法
1. 感情のワンクッションを置く
怒りや不安を感じたら、すぐに反応せず呼吸を整える。衝動を理性が追いつくまで待つ。
2. 「大局の視点」を思い出す
小さな不快や不満に囚われるとき、「宇宙の理性」の視点を持ち出す。10年後に覚えているか?と自問すると、多くのことは取るに足らなくなる。
3. 他者も理性的存在とみなす
相手の無知や欠点に苛立つのではなく、「彼もまた理性を持ち、同じ人間だ」と思うだけで、寛容さが生まれる。
まとめ ― 理性に生きるとは「自由に生きる」こと
衝動や習慣に支配されるとき、私たちは不自由です。理性を軸に据えるとき、初めて自由に生きられます。
マルクス・アウレリウスが自らに言い聞かせたように、
「自分自身を統べる理性へ、宇宙の理性へ、そして同胞の理性へ」
と、日々戻っていくこと。これが、私たちが悔いなく生きるための最良の道なのです。