政治・経済

『財務省が悪用する“地域選別論”と誤訳された選択と集中』

taka

「地域を見捨てる」思想の危うさ

能登半島地震以降、一部で「地域選別論」が広がっている。
人口の少ない地域や限界集落は復興対象から外すべきだ──そんな主張だ。
だが、これは国家という共同体の原理を根底から崩す危険な思想である。
日本は災害列島であり、国民は全国に分散して暮らすことこそが防災上の最大の備えとなる。
僻地の放棄は、都市への過密化を招き、国全体の安全保障を脅かす。
むしろ、都市に住む人ほど「地域を見捨てる愚かさ」に反発すべきである。

線引き不能な“選別”という発想

「限界集落は支援しない」と言っても、どこで線を引けるのか。
10人の村か、100人の町か。
未来の地域の姿など、誰にも分からない。
食料安全保障や再生可能エネルギーが見直される時代、いまは衰退して見える地域が将来の生産拠点になる可能性もある。
だからこそ、国家は「現時点の効率」で地域を選別してはならないのだ。

国防と人口分散の関係

離島や山間部に人が住み続けることは、国防上の要でもある。
「復興しない」と宣言されれば、人は離れ、無人地帯が広がる。
それはやがて、他国にとっての“空白地帯”となりかねない。
防衛力とは、兵器ではなく「人の営み」が支えるものでもある。
地域選別論は、まさに安全保障の観点からも否定されるべきだ。

財務省のレトリックと“選択と集中”の誤用

財務省が推進する地域選別論の根底には、財政破綻論がある。
「カネがもったいない」という発想だ。
しかし、国の支出は貨幣を創出する行為であり、「予算がない」は詭弁である。
また、「選択と集中」という言葉も本来の意味が歪められてきた。
1980年代、GEのCEOジャック・ウェルチが提唱した“Focus”──焦点を当てるという意味が、
日本では「切り捨てる」に変換された。
その結果、企業でも政府でも「選別と排除」が正義のように語られるようになった。
だが、集中しすぎた構造は脆く、一度の失敗で崩壊する。
本来、政府はリスクを分散し、あらゆる分野に広く投資するべき存在である。

分断を利用するルサンチマンの構図

財務省は「本当に困っている人にだけ支援する」という選別的政策を掲げる。
しかし、誰が“本当に困っている人”なのかを正確に定義することなど不可能だ。
選別は必ず不公平を生み、国民同士の憎悪を誘発する。
高齢者、生活保護受給者、公務員──財務省は彼らを“敵”として描き、国民を分断してきた。
それはルサンチマン・プロパガンダという名の心理操作である。
国民を互いに争わせ、財政支出削減を進める手法は、過去の全体主義と同質の危険を孕んでいる。

結論:国家の本質は“分かち合い”にある

国家とは、互いを見捨てず、どの地域にも希望を残す共同体である。
財務省の唱える地域選別論も「選択と集中」も、効率を装った分断政策にすぎない。
未来を予測することは誰にもできない。
だからこそ、政府は“すべての地域に焦点を当てる”姿勢を貫くべきである。
その先にこそ、真の復興と国民の連帯がある。

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ABOUT ME
TAKA
TAKA
理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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