「伝統に従うべきか?それとも新しい道を選ぶべきか?」――これは古代から現代まで繰り返されてきた問いです。セネカは『倫理書簡集』の中でこう述べました。
「先人たちのたどった道を歩くべきだろうか? 私ならきっと古いほうの道を使うだろうが、途中でもっと短く平坦な道が見つかれば、それを踏み分けて行くだろう。過去に道をひらいてくれた先駆者たちは、われわれの主人というより案内役である。真理は万人に開かれており、誰にも独占されてはいない」
伝統は案内役である
伝統は、長い年月を経て「もっとも良い方法」として残ってきたものです。それを尊重するのは当然のこと。しかし、それが唯一絶対の正解ではありません。セネカが言うように、先人たちは「主人」ではなく「案内役」なのです。
かつての革新は、今の伝統
いま私たちが「保守的」と呼ぶ考えも、当時は斬新で挑戦的なものでした。つまり、伝統とは過去の革新の積み重ねなのです。であれば、現代に生きる私たちもまた、新しい方法を恐れず試すべきではないでしょうか。
新しい知見を活用する
例えば心理学の進展によって、人間の心や行動について古代よりもはるかに多くのことがわかるようになっています。この知見をセネカやマルクス・アウレリウスの思想に重ね合わせれば、さらに現代的で実践的な哲学が生まれるはずです。
同じように、あなた自身の発見や経験からも、新しい「真理のかけら」を見つけることができるでしょう。もし従来の考え方よりもよい方法を見つけたのなら、臆せずそれを取り入れるべきです。
墓場の老人に縛られない
セネカは「二〇〇〇年前に学ぶのをやめた墓場の中の老人たちに縛られるな」と私たちに警鐘を鳴らしています。過去に囚われるのではなく、過去を土台として未来に扉を開く。その姿勢こそが、本当に生きた学び方なのです。
まとめ
伝統を尊重しつつ、よりよい道があれば勇気をもって進む――これがセネカの教えです。過去を主人ではなく案内役とみなし、未来に開かれた柔軟な生き方を選びましょう。そのとき、あなた自身が次の時代の「案内役」となるのです。