政治・経済

『結果を出さない専門家たち―「失われた30年」と経済学の責任』

taka

「権威」という名の裸の王様

テレビのニュース番組をつければ、今日もまた「経済学の権威」とされる人物が、もっともらしい顔で日本の未来を語っている。彼らの肩書きは輝かしく、政府の有識者会議にも名を連ねてきた、いわゆる「御用学者」と呼ばれる人々である。 しかし、ここでふと冷静な疑問が湧き上がる。彼らが政策の中枢に関わり、その理論が正しいと主張し続けてきたこの30年間、日本経済はどうなったか。 結果は惨憺(さんたん)たるものである。賃金は上がらず、経済は停滞し、「失われた30年」という不名誉な言葉が定着してしまった。

現状維持ならまだしも、国力は衰退の一途をたどっている。にもかかわらず、その舵取りを理論面で支えてきた当事者たちが、いまだに「先生」と呼ばれ、メディアで重宝されている。この状況は、極めて異常な光景であるといわざるを得ない。

万年最下位の監督は許されるか

スポーツの世界に例えれば、この異常さはより際立つ。 もし、プロ野球のチームで、30年間ずっと万年最下位を続け、チームを弱体化させた監督がいたとしよう。球団やファンは、その監督を許すだろうか。「名監督」として称賛し、契約を延長し続けるだろうか。 答えは否である。プロの世界であれば、結果が出なければ即座に更迭されるのが常識だ。

しかし、なぜか国の経済を論じる場においては、この「結果責任」が問われない。失敗し続けた理論を振りかざす人々が、反省の弁を述べることもなく、依然として解説席に座り続けている。 彼らはまるで、自分たちの処方箋が間違っていたのではなく、患者である日本経済の体質が悪かったのだと言わんばかりである。結果を出せなかった人間が、権威として居座り続ける社会。それが今の日本の姿であるといえる。

新しい答えを拒絶する心理

さらに厄介なのは、彼らが「積極財政」といった新しい解決策に対し、頑なに否定的な態度をとることである。 これまでとは違うアプローチ、例えば政府が積極的に投資を行い経済を回そうとする動きに対し、「それは経済学の本質から外れている」「将来に禍根を残す」と、古い理論をこねくり回して批判を展開する。

なぜ彼らは、これほどまでに変化を恐れるのか。 それは、新しい方法で日本経済が回復してしまえば、彼らが30年間信じ、主張し続けてきた理論が「間違いだった」と証明されてしまうからではないだろうか。 彼らが積極財政を否定するのは、国の未来を憂いているからではない。自身の過去の言説と、学者としてのプライドを守るための自己保身である可能性が高い。 「今までの方針が間違っていた。すまなかった」 そう素直に認め、軌道修正を図ることこそが、真の知性であり誠実さであるはずだ。

過去の理論より、未来の結果を

童話『裸の王様』において、王様が裸であることを指摘できたのは、しがらみのない子供だけであった。 現代の日本においても、必要なのは権威におもねることなく、「結果が出ていないじゃないか」と事実を直視する視点である。

30年間失敗し続けた理論の逆を行うことこそが、実は正解への近道なのかもしれない。 「間違っている」と彼らが批判する方向性こそが、実は国を浮上させるための唯一の希望である。そう捉え直したとき、我々が耳を傾けるべきは、過去の栄光にしがみつく権威の声ではなく、これからを生きるための現実的な知恵なのである。

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ABOUT ME
TAKA
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理学療法士/ビール
理学療法士として臨床に携わりながら、リハビリ・運動学・生理学を中心に学びを整理し発信しています。心理学や自己啓発、読書からの気づきも取り入れ、専門職だけでなく一般の方にも役立つ知識を届けることを目指しています。
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