つねに初心に帰る──新渡戸稲造『人生読本』に学ぶ、飽きとマンネリを超える生き方
「続ける」ことの難しさ
どんなに情熱を持って始めたことであっても、長く続けているうちに「飽き」や「マンネリ」を感じる瞬間があります。
仕事、勉強、趣味、さらには人間関係でさえ、同じことを繰り返していると心が鈍り、最初の新鮮さが失われていく——それが人間の自然な心理です。
新渡戸稲造は『人生読本』の中で、こうした「飽きの時期」を人生の危険な局面ととらえています。
「一つのことを長く続けていると、どこかで飽きが来るものだ。このように飽きが来るのは大変危険なときである。」
飽きが生じると、私たちは目的を見失い、惰性で生きるようになります。
それを放置すると、努力の意味が曖昧になり、心は静かに腐っていくのです。
飽きが来たときこそ、「初心」に立ち返る
新渡戸は、この「危険な時期」を乗り越える方法を、シンプルかつ力強く示しています。
「そういうときには、初心に帰り、『いったい自分は何のためにこんなことをしているのか』と自問してほしい。」
初心に帰る——それは、自分の原点を思い出すこと。
なぜこの仕事を始めたのか、なぜこの道を選んだのか。
最初に抱いた志や希望を思い出すことで、私たちは再び目的を取り戻すことができます。
初心とは、過去の思い出ではなく、「今を再び動かす原動力」です。
迷ったときこそ、原点を振り返る勇気が必要なのです。
初心を忘れると、努力が「手段」になる
新渡戸は、初心を忘れる危険性を次のように警告します。
「ときどき、そのようにして初心に帰ることをしなければ、日常の忙しさに負けて、自分が最終的に目指す真の目的を見失ってしまうことになる。」
努力を続けているうちに、私たちは“なぜそれをしているのか”を見失いがちです。
仕事をする目的が「評価されるため」になり、勉強の目的が「点数を取るため」になる。
本来の「成長したい」「人の役に立ちたい」という動機は、忙しさの中で霞んでしまうのです。
初心を忘れると、努力はただの手段に変わり、心は空洞化します。
だからこそ、ときどき立ち止まって「何のためにやっているのか」と自分に問うことが、心の再生につながるのです。
初心に帰るための3つのステップ
新渡戸の教えを現代的に活かすために、「初心を取り戻す」ための具体的な方法を3つ紹介します。
① 原点を書き出す
最初に抱いた志や目標を紙に書き出してみましょう。
たとえば、「この仕事を通じて誰を幸せにしたかったのか」「なぜこの道を選んだのか」。
文字にすることで、忘れていた情熱が再び心に灯ります。
② 感謝の視点を持つ
飽きや不満は「足りないもの」に意識が向いているサインです。
「最初はここまで続けられると思わなかった」「支えてくれた人がいた」と振り返ることで、初心を感謝とともに思い出せます。
③ あえて“新しいやり方”を試す
初心に帰るとは、単に過去を懐かしむことではありません。
原点を再確認したうえで、「今の自分にできる新しい工夫」を取り入れてみること。
初心と成長をつなぐためには、“変化を恐れない姿勢”も必要です。
「飽き」は成長のサインでもある
飽きを感じるということは、一定のレベルまで達した証でもあります。
最初は努力していたことが、やがて「当たり前」になっている。
それは、成長の証であり、次の段階へ進む合図なのです。
だからこそ、飽きが訪れたときは焦らず、「次の成長への転換点」として受け止めることが大切。
初心に帰ることで、自分の歩みを見直し、より高い目標へと再出発できるのです。
まとめ:初心に帰ることは、“今を生き直す”こと
新渡戸稲造の教えは、単なる精神論ではありません。
「初心に帰る」という行為は、過去を懐かしむのではなく、今をもう一度生き直すための実践です。
- 飽きやマンネリを感じたら、初心を思い出す
- 忙しさに流されず、「何のために」を自問する
- 原点を見つめ直すことで、再び情熱を取り戻す
初心を忘れずに生きる人こそ、長く続ける力を持ち、人生を豊かにしていけるのです。
最後に
「初心忘るべからず」という言葉は、古くから日本の精神文化の根底にあります。
新渡戸稲造が『人生読本』で語ったこの教えは、現代社会においても変わらぬ真理です。
忙しい日々の中でも、ふと立ち止まり、「自分はなぜこの道を歩んでいるのか」と問い直す時間を持ちましょう。
その一瞬が、あなたの人生を再び新鮮に輝かせる“初心の瞬間”になるはずです。
