「正しい動機が、人を高める」――新渡戸稲造『修養』に学ぶ、行動の根を見つめる生き方
「動機」が正しくなければ、行動も歪む
新渡戸稲造は『修養』の中で、こう語っています。
何をするにしても、正しい動機をもつことが一番大切だ。何かしようとするときには、これは自分の名をあげるためにするのではないのか、あるいはお金のためにするのではないかと、その真の動機について自問自答してほしい。
この言葉は、現代社会に生きる私たちにとっても鋭い問いかけです。
私たちは日々、多くの選択をしています。
仕事をする、人に親切にする、勉強を続ける――。
しかし、その「行動の目的」を深く見つめる機会は少ないものです。
新渡戸は、行動そのものよりも、その根底にある“動機”の純度こそが人間の価値を決めると説いています。
「正しい動機」とは何か?
「正しい動機」とは、道徳的に立派なことをするという意味ではありません。
それは、自分の良心と誠実さに基づいた行動原理を持つということです。
たとえば――
- 他人を助けるとき、「感謝されたい」ではなく「相手のために」が動機になっているか?
- 仕事で成果を出したいとき、「評価されたい」よりも「価値を生み出したい」になっているか?
新渡戸は、行為そのものが同じでも、動機が違えばその価値はまったく変わると言います。
つまり、行動の“内側”にこそ人間の真価があるのです。
「名誉心」や「貪欲」は人間の第二の天性
新渡戸は続けて、こう指摘しています。
名誉心や貪欲は人間の第二の天性のようなものであり、人が何かしようとするときには、こうした邪心がその動機になっていることが多い。
この部分に、新渡戸の人間観の深さが現れています。
彼は人間の弱さを否定していません。
むしろ、「名誉心や欲望は自然なもの」と認めた上で、
それに流されず、理性によって動機を正そうとする姿勢を大切にしているのです。
つまり、正しい動機を持つとは――
「人間の本能に打ち勝つ努力」
のことでもあります。
「正しい動機」を持つための3つの自問
新渡戸の教えを現代の生活に生かすには、
日々の選択の中で「自問」を習慣にすることが効果的です。
① 「この行動の目的は何か?」
自分の行動の背後にある目的を意識的に言葉にしてみる。
見返りや承認を求めていないか、自分のためではなく誰かのためになっているか――
この問いが、動機を透明にします。
② 「この行動は誠実と言えるか?」
一時の損得ではなく、長い目で見て“正しい”と思えるか。
短期的な利益よりも、誠実さに基づいた選択が心を豊かにします。
③ 「これを他人に知られても恥ずかしくないか?」
動機の正しさを測るシンプルな基準です。
他人の目に触れても恥ずかしくない行動か――
それを自分に問うだけで、心が整理されます。
「正しい動機」を持つ人は、結果に左右されない
動機が正しければ、たとえ結果が思うようにいかなくても、後悔は残りません。
なぜなら、自分の行動が“誠実な意志”に基づいていたことを自覚できるからです。
逆に、動機が不純だと、成功しても心は満たされません。
一見うまくいったように見えても、内心では虚しさが残る。
「人は何を成したかよりも、なぜ成したかで評価される」
これは、新渡戸の言葉そのものではありませんが、
まさに『修養』が伝えたかった人生哲学の核心です。
「正しい動機」が、人を導く羅針盤になる
人生には、迷いや不安がつきものです。
しかし、そのときに頼れるのが「正しい動機」という心の羅針盤です。
- 名誉や賞賛を求めると、道を見失う
- 損得勘定で動くと、判断がぶれる
- しかし「正しい動機」で動けば、どんな道も迷わない
動機が正しければ、たとえ困難な道でも心は揺るぎません。
それはまさに、新渡戸稲造の生涯そのもの。
彼は地位や名声のためでなく、「人の役に立つこと」を人生の軸に据えていました。
現代へのメッセージ――「動機の純度」が信頼を生む
SNSや評価社会の中で、
「どう見られるか」「どれだけ評価されるか」が行動の基準になりがちな今。
しかし、新渡戸の言葉はそんな時代にこそ響きます。
「何をするか」ではなく「なぜするか」を問え。
動機が正しい人は、自然と信頼され、周囲を動かします。
なぜなら、誠実な動機は、言葉や表情に必ずにじみ出るからです。
まとめ:「正しい動機」は、人生を整える力
新渡戸稲造の「正しい動機をもて」という言葉は、
日々の行動を見直すための永遠の指針です。
- 行動の価値は、動機の純度で決まる
- 名誉や欲望より、誠実さと良心を基準にせよ
- 正しい動機があれば、結果に振り回されない
他人にどう見られるかより、
「自分の心に恥じないか」を問うこと。
それこそが、新渡戸の言う“修養”の第一歩なのです。
