『議員定数削減の裏にある欺瞞と民主主義の危機』
疑惑に蓋をする「身を切る改革」の演出
維新の会が悲願として掲げる議員定数の削減。自民党がそれを受け入れる公算が高まっているが、この流れには断固として反対である。なぜなら、この議論は本来優先すべき「政治とカネ」の問題から国民の目を逸らすための、ポピュリズム的な演出に過ぎないからである。
そもそも維新は、衆院選の段階では「企業・団体献金の禁止」を明確に掲げていた。しかし、政権との距離が縮まるにつれ、その声は鳴りを潜め、代わりに持ち出されたのが「定数削減」である。これは一般受けの良い「身を切る改革」をアピールすることで、党内で噴出している不祥事を覆い隠そうとする意図が透けて見える。
事実、11月に入ってから維新内部では、公設秘書の親族企業への不透明な公金支出や、政党交付金の還流疑惑が次々と明るみに出ている。身内の企業に公金を流し、それが巡り巡って党幹部の政党支部に寄付されるという構図。これらが「適法」であると強弁するならば、なぜ秘書関連企業への発注を今後取りやめるなどという対応をとるのか。後ろめたいことがないのであれば堂々と続ければよいはずである。まずはこうした公金の私物化疑惑を精算することこそが、真の「身を切る改革」ではないだろうか。
「一票の格差」と少数意見の排除
定数削減が孕むより深刻な問題は、民主主義の根幹に関わる部分である。かつて7割近い賛成があった世論も、冷静な議論が進むにつれ、その危険性に気づき始めている。単純な定数削減は、長年司法の場で争われてきた「一票の格差」をさらに拡大させる懸念があるからだ。
人口が密集する都市部の一票はさらに軽くなり、地方の声は届きにくくなる。結果として、憲法違反の状態を招く可能性が高い。また、小選挙区制において定数を減らすことは、多様な民意の切り捨てに直結する。維新が大阪府議会で成功体験を持つ定数削減は、結果として彼らの一強体制を盤石にしたが、国政においては少数政党を排除し、巨大与党による数の論理を助長することになりかねない。
戦後の人口7000万人時代よりも議員数が少ない現状において、さらに多様性を削ぐことが、果たしてこれからの複雑な社会課題を解決する道といえるのだろうか。
数合わせの政治が招く本末転倒
結局のところ、今回の合意形成は、高市政権における法案成立のための「数合わせ」に過ぎない。国会審議において、削減幅がなぜ1割なのかという問いに対し、総理は「維新からの提案だから」と答弁した。そこには、国家の統治機構をどうあるべきかという哲学も、民主主義の深化への視点も欠落している。
自民党は政権維持のために維新の数字をのみ、維新は自らの疑惑を隠すために改革者を演じる。この政治的な取引によって、本来議論されるべき企業団体献金の禁止や、スパイ防止法といった重要法案の審議がおざなりにされることは避けるべきである。
国民が求めているのは、議員の数を減らすというパフォーマンスではない。政治資金の透明化と、実質的な財政の健全化である。目先の人気取りに惑わされず、この定数削減論の裏にある政治的意図を、我々は冷静に見極める必要があるといえるだろう。
