「予期していなければ不幸の重みが増す」――これはローマの哲学者セネカが『倫理書簡集』の中で述べた言葉です。彼は、不幸は避けがたいものであるが、それを「覚悟しているかどうか」で苦痛の大きさは変わると説きました。
不幸は誰にでも起こりうる
西暦64年、ローマで大火が発生しました。街の大半が焼け落ちる惨事となり、フランスのリヨン市は多額の義援金を贈りました。ところが翌年、今度はリヨン市が火災に見舞われ、ネロ帝は同額の義援金をローマから贈ったのです。
セネカがこの出来事を友人に伝えたのは、その象徴的な意味に心を動かされたからでしょう。援助した側が、次には自ら助けを必要とする立場になる。これは歴史的な逸話であると同時に、私たちの日常にも通じます。
身近に起こる「運命の反転」
- 友人の失恋を慰めていたら、自分自身が恋人と別れることになった
- 病気の知人を見舞っていたら、数か月後に自分も同じ病にかかった
- 仕事で助けた相手の境遇に、後に自分が置かれてしまった
人生は、いつどの瞬間に流れが反転するかわかりません。だからこそ、セネカは「何事にも不用心であってはならない」と言うのです。
予期することが苦痛を和らげる
人は「まさか自分が」と思っていると、不幸に直面したときの衝撃が何倍にも膨らみます。しかし、もし「それは自分にも起こりうる」と思っていれば、不幸は予想外のものではなく、覚悟の範囲内になります。
ストア派の知恵は、未来を悲観することではなく、「いざというときの心構え」を持つことです。
セネカ自身の覚悟
セネカは言葉だけでなく、自らの生涯でこの原則を実践しました。ローマ皇帝ネロの暴虐を理解しつつ仕え、いつか自分も危険に巻き込まれることを予感していたのです。
その予感は現実となりました。65年、セネカはネロに反逆を企てた罪を着せられ、自害を命じられます。歴史家タキトゥスによれば、その場に居合わせた友人たちは涙ながらに抗議しましたが、セネカはこう諭しました。
「君たちの哲学の原則はどこに行ったのだ?
来る悪に備えて長年研鑽を積んできたのは何のためだったのだ?」
つまりセネカは、運命の厳しさをあらかじめ織り込み、その瞬間が来ても動揺しないよう準備をしていたのです。
現代に活かすストア派の実践法
- 最悪のシナリオを想定する
出発前に「電車が遅れるかもしれない」と考えれば、遅延が起きても慌てずに済みます。 - 善行を「自分も助けを受ける可能性」と結びつける
寄付をするとき、「いつか自分も助けを必要とするかもしれない」と考えると、感謝と謙虚さが芽生えます。 - 不幸を人生の一部と受け入れる
失敗や別れを「想定外」とせず、「いずれは訪れるもの」と受け止めれば、感情の揺れは最小限になります。
まとめ
セネカの言葉は、私たちに「予期する力」を教えてくれます。
- 不幸は誰にでも起こりうる
- 覚悟していれば苦痛は軽減できる
- そのために日々の思考と習慣を整えておく
運命をコントロールすることはできません。しかし、心の準備は誰にでもできます。だからこそ「それは君にも起こりうる」という言葉は、私たちの生き方に深い示唆を与えてくれるのです。