「正しいことをしなければならない」──私たちは日常の中で、そう自分に言い聞かせることが多いのではないでしょうか。仕事で責任を果たすこと、家族を思いやること、社会的に適切に振る舞うこと。いずれも大切なことですが、その一方で「義務感に縛られている」ように感じ、心が重くなることもあります。
古代ローマの哲学者セネカは『倫理書簡集』の中で、こんな言葉を残しています。
「不本意に、あるいは強制されて行ったことは少しも気高くない。気高い行為とは必ず、自発的に行うものだ」
つまり、正しい行為や善い行為は「誰かに強制されたから」ではなく、「自分の意志で選んだから」こそ意味を持つのです。
義務ではなく、自分の選択としての「正しさ」
私たちは「道徳的に正しい行動をとらなければならない」と思い込みがちです。確かに、社会生活を送る上では最低限のルールは必要です。しかし、セネカの言葉が指し示すのは、それ以上に大切なのは「自分で選んで行動すること」だという点です。
たとえば、友人を助けるときに「仕方ないからやっている」と思うのと、「自分が助けたいからやる」と思うのとでは、同じ行為でも意味がまったく違います。後者には「気高さ」が宿り、行為そのものが自分の生き方を形作るものになります。
自由には誘惑も含まれる
セネカは「正しいことをする必要はない」とも言っています。これは、一見すると極端な自由主義のように聞こえるかもしれません。実際、私たちは無礼に振る舞うことも、誘惑に負けて羽目を外すこともできます。社会的ルールを破ることだって可能です。しかし、その結果は必ず自分に返ってきます。
つまり、自由には「責任」が伴うのです。正しいことをしない自由もあるけれど、それを選んだ結果どんな人生になるかは自分自身が引き受けるしかありません。
自発性がもたらす幸福感
ここで大切なのは、正しい行為を「やらされている」と思うか、「自分がやりたいからやっている」と思うかという意識の違いです。心理学的にも、強制された行動はストレスを生みますが、自発的な行動は充実感や幸福感をもたらすといわれています。
つまり、同じ仕事や家庭での役割であっても、「自分で選んだ」と感じられることで、その行為の価値が変わるのです。
今日からできる実践
では、この哲学をどう日常に取り入れればよいのでしょうか。
- 小さな選択を意識する:今日のタスクを「やらなければならないこと」ではなく「自分が選んでやること」と言い換えてみる。
- 義務感を減らす言葉の工夫:「しなければならない」ではなく「したい」「選ぶ」と自分に語りかける。
- 行為の意味を見直す:それをすることで誰が喜ぶのか、どんな価値があるのかを意識する。
このような小さな工夫だけでも、日常の義務感は大きく和らぎ、自分の行動に主体性を取り戻すことができます。
セネカの言葉は、私たちに「強制されて生きる必要はない」と教えてくれます。正しいことをするかどうかは、外から押しつけられる義務ではありません。自分の意志で選び、自分が納得するからこそ意味があるのです。
もし今日、何かに追われて「仕方なくやっている」と感じたなら、その瞬間に立ち止まってみてください。そして「自分はこれを選んでいる」と言い換えてみましょう。きっと行動の質も、感じ方も変わるはずです。