「工夫なき努力は滅びる」──幸田露伴『努力論』に学ぶ、進歩する人と落伍する人の分かれ道
「木をこすって火をおこす」──露伴の痛烈な比喩
幸田露伴の『努力論』には、時代を超えて通じる洞察が多くありますが、その中でもこの節の冒頭は印象的です。
「木をこすって火をおこすようなことをしているようでは、いずれ滅亡することは確実だ。」
露伴が生きた明治時代は、近代化の真っただ中。
それでもなお、昔ながらの非効率なやり方に固執する人々を見て、彼は「それではいずれ滅びる」と断言しました。
そして、この比喩は現代にもそのまま通じます。
テクノロジーが進化し、時代が変わっても、「木をこすって火をおこす」ような仕事の仕方をしている人や組織は、今も少なくありません。
「過程の短縮」は、生き残りの条件
露伴は続けてこう述べます。
「いっさいの人間の行為において、われわれは過程の短縮を最重要事として進むべきだ。」
つまり、「過程の短縮」を単なる工夫や効率化ではなく、人間の進歩に不可欠な原理として位置づけています。
技術もビジネスも学問も、「より速く・より正確に・より合理的に」目的を達成する方向へと進化してきました。
その流れに逆らい、昔の方法に執着する者は、やがて取り残される――露伴はこの構造を鋭く見抜いていたのです。
なぜ「努力しているのに報われない」のか
私たちはしばしば、「頑張っているのに結果が出ない」と感じます。
しかし、その原因は“努力量”ではなく、“努力の方向”にあることが多いのです。
どれだけ一生懸命働いても、時代に合わないやり方を続けていれば、成果は出ません。
露伴の言葉を借りれば、それはまさに「木をこすって火をおこそうとしている」状態です。
努力とは、「より良い方法を探し、実践すること」でもあります。
つまり、努力とは知恵の使い方なのです。
「過程短縮」の本質は、“工夫と改善”
露伴のいう「過程短縮」は、単なるスピードアップや省略ではありません。
それは、目的を達成するために、最も合理的な道を見つける知恵の働きです。
現代でいえば、こうしたことが「過程短縮」にあたります。
- デジタルツールを活用して、作業を自動化する
- チームで情報共有し、二度手間をなくす
- 学びの方法を最適化して、短期間で成果を上げる
露伴は、このような「知恵の努力」を称賛しました。
なぜなら、それは人類全体の進歩に貢献する行為だからです。
「過程短縮の念」がない者は、いずれ落伍する
露伴はこの節で、非常に厳しい言葉を使っています。
「過程の短縮を心がけない者は必ず落伍者となり失敗者となって、進歩の世界の厄介者のように扱われる。」
ここには、時代の流れを読まない人間への警鐘が込められています。
努力していない人が落ちこぼれるのではなく、「努力の仕方を変えない人」こそが落伍者になるというのです。
現代で言えば、変化を恐れて新しい技術を拒む人、
昔の成功体験にしがみつく上司、
「自分のやり方が一番」と思い込む職人――。
こうした人々は、いずれ時代に取り残され、若い世代に追い抜かれていくでしょう。
「時代に適応する」ことが、最大の努力
露伴は、過程の短縮に成功した者こそ「時代の要求を満たし、社会の恩人になる」と述べました。
つまり、時代に適応しようとする姿勢そのものが“努力”なのです。
時代の変化に嘆くより、
「この変化をどう味方につけるか?」と考える人こそ、露伴のいう成功者です。
新しい技術を学ぶこと。
古い仕組みを見直すこと。
そして、より良く働き、より良く生きるための工夫を惜しまないこと。
それらすべてが、「過程短縮の努力」なのです。
おわりに:努力の価値を決めるのは「方向性」
幸田露伴の「過程短縮の念のない者は落伍者となる」という言葉は、
単なる「効率重視」の考えを超えた、人間の進歩に関する哲学です。
努力の量ではなく、
努力の“質”と“方向”を見極めること。
「もっと早く」「もっと正確に」「もっと良く」――
この小さな意識の積み重ねが、やがて人生を、社会を、時代を動かしていくのです。
